2004/7/18(日)「第三次産業」の最後

 さて、話は変わりますが、僕は患者さんの心付けとか、製薬会社の接待とか、そういうものが非常に苦手です。心付けをもらおうともらわなくとも、僕の医療は変わらないし、製薬会社に何をもらおうとも、僕が使うのは必要な薬だけです。もちろん、お金もお酒もおいしいご飯も大好きですけど、それは僕の給料の範囲内でどうにかなります。幾ばくかのお金やご馳走で、その人とか会社に対して、恩義みたいなものを感じさせられるのが嫌なのです。油田でももらえるなら別かも知れませんが、その幾ばくかの贈り物のために、仕事のやりにくさとか、勤務する病院によっては公務員倫理規定違反というようなリスクを負うはめになります。僕は駐車違反のリスクを負うくらいなら、多少高くてもあらかじめ駐車料金を払うような人間で、自分でいくらかの負担をしてでも、いろんな不安やリスクを取り除きたいと思うタイプなのです。その全く逆のことをされるのは、実は相当面倒くさいのです。しかしすれ違いざまとか、しつこく病室に呼びつけた上で、白衣のポケットにお金をねじ込んでくる人や、どこで調べたのか、アパートにお中元やお歳暮をおくってくる人までいて、そういう方々に対しては、いくら遠慮したい旨伝えても、かえって大騒ぎになってしまうのです。もちろん、気持ちは嬉しいです。だけど、本当に気持ちだけでじゅうぶんなのです。気持ちだけのときは嬉しくなれるのですが、そこに金銭が絡むと、少なくとも僕は心苦しくなります。

 僕は医療行為をする間は、あくまで中立でいたいのです。そういう意味では、心付けや接待以外にも、政治的に偏っていたり、宗教的に偏っているような病院は非常に気持ちが悪いのです。そういうことを言うとたくさん敵をつくりそうですけれど、どの病院の前で倒れている人でも、良き医療を受けられるということが、僕らの仕事の前提だと思うのです。