献身と超人の限界

「スーパーマン医療の時代」の終焉
http://www5f.biglobe.ne.jp/~iyatsue/starplayer.htm
産婦人科・小児科
http://d.hatena.ne.jp/friedtomato/20060204
 このあたりに述べられているように、いま医療が回っているのは、毎日ほぼ不眠で働き続け、ミスなく高度で人間的な医療を与えることができるごくわずかのスーパーマン的な医師の存在と、その他多数の、凡人ながら、自分が働かなければ目の前の人が死ぬという義務感と、献身的意識で、待遇改善を叫ぶよりも前に、とりあえず医療行為を行っていこうという人々のおかげに他ならないと思います。
 一部のマスメディアではひどい偏向報道で、全く関係ない異業種と医療の現場での死亡率なんて挙げてみて、統計学的に意味のない方法で比べてバッシングしたりして、いま医療が行き詰まっているのは、ひとえに医者がふがいないせいだと言うのです。医療ミスというのは、横柄な医者が、場合によってはわざと手を抜いて、患者の容態を悪くしているんだと信じている人が多いのではないでしょうか。結局、そういうところに、自分を特別扱いしてもらうための「謝礼」のような発想もくっついてくるのではないでしょうか。
 実際、目の前の患者さんを治療するのに、松竹梅なんてありえません。もちろん、特別室に入院するか、大部屋に入院するかなどの違いが、普段あまり臨床に携わらないような「偉い」先生方が気にする度合いが変わるという程度の差は生じるかも知れませんが、結局、ある症状に対してやるべき治療は誰に対してもほぼ平等です。日本の皆保険制度と、応召義務のもとでは、アメリカの個人保険のような「あなたの保険ではこの薬は使えません」ということはありえません。手を抜いて患者の容態が悪くなれば、民事・刑事責任を追及されることはわかっているわけだし、貧乏人だから治療しない、ということはほぼ起こらないのです。故に、医療費未納問題ということが生じているわけですし。
 目に見える締め付けばかりが大きくなって行き、「患者さんを救いたい」とか「感謝されるのがやりがい」といって医師を目指した多くの人間が、それこそ寝ずに、懸命に医療行為に当たっても容態が悪くなれば、家族に「医療ミスじゃないんですか!」なんて言われて訴訟をおこされるとか、別段緊急でもない症状で真夜中に受診する患者に「病院の態度が悪い」なんて怒鳴られたりしているうちに、なんだかいろいろ歪んでしまうのです。
 おそらく今後もしばらくは、そんな現状の中でも、ごくごく少数の医師が待遇改善なんてことを言い出さずに、厳しい状況の中で自分を犠牲にして働く姿を「これこそ医師の姿」なんて美しく報道し、もう限界に達して「休みを!」と叫ぶ医師たちを「患者の気持ちを考えない医者」とかいってバッシングするのだと思います。ただ、そうして、スーパーマンを唯一正しい医者として設定してしまうと、多くの凡人は間違いなくぶっつぶれると思います。
 数年前までは、研修の義務化というのはなく、どこかの医局に入ってストレート研修というのが主流でした。学生時代の熱い思いのまま入局先を決め、外科や産婦人科、小児科の激務にめげそうになりながらも、一生の専門と思って属したところを抜けるにもそれなりのエネルギーがいるので、なんとかやり続けるというパターンもたくさんありました。昨年度からスタートした義務研修は、所属先を決めない2年間のスーパーローテートで、そこで数ヶ月だけ激務の診療科に身をおいた人間が、仮にそこを希望したとしていたとしても、最終的に決心が揺らいで、より拘束時間が短く、訴訟の少ない他科に鞍替えするということが多いようです。来春は、新しい制度の研修医がはじめて入局してきます。全国で、後期研修先として産婦人科や小児科を選んだ医師がわずかというのは、このあたりの影響も大きいと思います。