今頃になって、ブラック・ジャックを読んでます。あんなモグリの医者がなんだかんだいって公式の場で手術しちゃったりするあたり、そのマンガの書かれた時代が見えてくるのです。今じゃ、その設定はちょっと無理があるでしょうね。
実は私、アトピー性皮膚炎で、小さい頃から皮膚科にかかっていました。そこのドクターが、実は私と同じ大学を出て、しかもジャズ研でベースを弾いていたなんていう偶然に気付いたのは、当然大学に入ってからのことで、OB名簿にその名前を発見したときはびっくりしたものです。先生がおっしゃるには、「僕らが学生の頃は、休みには観光地の診療所に住み込んで、けが人の手当とかしたもんだよ。それが一番実践的だったし、勉強になったよ。医者も少ない時代だったし。今じゃそんなことをしたらいろいろ大変だろうけどね」…って、なんかブラック・ジャックが存在している時代にぴったり重なりますよね。
ブラック・ジャックは医学の限界も知っていたし、時折、人智を超えたものの存在に打ちのめされることもありました。使い古された解説では、「彼は決して赤ひげではなかった」ということ。貧乏人にも高額の治療費を平気で請求し、自分が正義の味方だなんてこれっぽっちも考えない、いや、考えないようにしている。結局はとらなかったお金も多くて、正義の味方色が濃いには濃いんですけれど。
少年チャンピオンにブラック・ジャックがあるなら、そう言えば少年マガジンにはドクターKがいましたね。彼は代々続く医者の家系に生まれ、帝都大主席卒業の超エリートですが。彼も「裏の世界に生きる」とか「流れ者」とか自称してはいますが、結局は純粋な正義の味方なんですよね。そんな点で、ブラック・ジャックにはなれないのです。Kは結局権威の呪縛からは抜け出せていないような気がします。
何故医者になろうと思ったのかという質問に、冗談ともとれる口調で「ブラック・ジャックに憧れたから」と答えている私ですが、これは全く冗談というわけじゃなくて、かなりの部分本気です。「何科に進むの?」っていう質問に「まだ決めていません」と答えたら、あるサックスプレイヤーは、「成績のいい人なんかが、結局これがやりたいという情熱がないまま、たとえばとりあえず医学部なんかに入って進んでいくってのはある意味危険なことだと思う」なんて言うから、「そういう意味じゃ無くて」と説明しようとしたのですが、言いたいことだけ言って去ってしまいました。
うまく説明できないんですけどね。とにかく臨床の場で病気を治したいっていう情熱は理解されないんでしょうか。「心臓に興味があります」っていう答えが欲しいのでしょうか。確かに、最終的に細分化された専門を持つには持つでしょうが、私が今情熱を持っている部分は全く別の次元のことなんですがね。たまに哀しくなります、こういうことで。よくあるんですが。その点肉親は強いです。明確に将来のこととか言葉にしなくても、ある程度理解してくれているようです。何気ない受け答えなんかでそれぐらい分かるんですよね。