ちりんのblog
http://d.hatena.ne.jp/chirin2/20050113
「どうしてそう思ったの?」「それで大丈夫だと思うの?」と看護科の教官にはねちねちいじめられるものだが、医学科の教官は「それはダメだね」とあっさり言うので感動した、と。私の印象では、医者の中にもねちねち派と、「違う、バカっ」と言う派がいるように思う。
誰がためにかりんは鳴る
http://karinko.com/diary/index.html?mode=day&dd=050113
正解教えてよ!!
と思うのである。
正解を考えさせるよりは、あっさりと正解を教えて、その妥当性について考えさせた方が有効ではないのか。
僕もかつて、ある患者さんの状態について上級医に責められて、「○○使ってみるとか、××にするとか、いろいろあるだろう」とかなんとか言われて、でも、自分の指示はそれとはちょっと違ったアプローチから患者さんの状態を保っていたので、さすがに困って、「僕はこういう理由でこういう指示で様子をみています。先生が正しいと思う方法を、抽象的ではなくて具体的に指示を出してください」と言ったことがありました。ちなみに、その先生は、結局具体的な指示を出さなかったのです。僕はその先生のことは、今でもあまり尊敬できません。
もちろん、なんでもかんでも人にきいて、自分で調べないのは良くないのかも知れません。でも、こと医療という場において、失敗して経験を重ねるというのは、患者さんに犠牲を強いることになるのだし、すみやかに正解を教える、というのが妥当な場面のほうが圧倒的に多いと思うのです。もっとも、医療に唯一の普遍的な「正解」というのはほとんど存在せず、良い方に転ぶかどうかは結果論である部分も多いので、余計「考えてみなさい」と言われても、「あの先生はこういう考え方だから」という心理戦みたいのになってきます。
実際、医学部の試験なんて、「国試的な正解」「うちの大学の第一内科的な正解」「外科的にはこうだけど、放射線の試験では不正解」のような、出題者の主観がバリバリに入ったものが多いんです。うちの大学だけかと思ってましたが、ネット上のテキストを見る限り、各大学でそれぞれ苦労があるようですね。
だから、僕ももちろん僕の考え方が絶対的な「正解」だとは思わないけれど、研修医の指示や処置へ口を出すときは、「僕はこう思うんだけど」とはっきり僕的な「正解」を言うようにしているし、研修医と言えども、きちんと理由を言った上で自説を述べてくれば、それをきく準備はあります。
ちなみに、一番嫌いなのは、「慣例的にこうなってますから」って奴。知るか、そんなの。