福島県立大野病院事件―あれから三年

 226より515より911よりもなお深く僕の心に刻み付けられた218福島県立大野病院の産婦人科医が逮捕されたあの日から三年がたちました。逮捕の報道を受けて、逮捕翌日の2006.2.19.に最初のエントリ「帝王切開手術死で医師逮捕」を書いています。

 またかというため息とともに、いろいろ書こうかと思いましたが、「ある産婦人科医のひとりごと」に言いたいことがほぼ書かれていました。
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2006/02/post_1b76.html

今回の事例は、術前診断が非常に困難かつ非常にまれな癒着胎盤という疾患で、誰が執刀しても同じく母体死亡となった可能性が高かったのに、結果として母体死亡となった責任により執刀医が逮捕されたということであれば、今後、同じような条件の病院では、帝王切開を執刀すること自体が一切禁止されたと考えざるを得ません。

 もちろん、亡くなった側の悔しさはわかるんです。でも、亡くした側も相当に悔しいはず。しかも、それが「罪」だと言われてしまうというのは、本当に正しいのでしょうか。以前から、僕は医療ミスや事故を刑法で裁くことへの疑問を述べてきました。

 その後も経過を追いましたが、この件はミスとも事故とも言い難く、非常に稀で重大な症例にあたり、懸命に適切な治療が施されたものの、不幸にも命を救えなかった症例だということが見えてきました。それは裁判でも認められ、検察は2008.8.29.に一審の無罪判決の控訴を断念、9/4に控訴期限を迎え、無罪が確定しました。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20080829#p1
 この無罪判決をまずは喜びましょう。しかしながらこの逮捕・起訴が、医療に携わる人々に大きな傷跡を残したのは確かです。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20080824#p1

 ミスや医療過誤は無いとは言いません。しかし、少なくとも、悪意に基づいて患者さんを害するというようなことは、皆無に近いと思っています。大野病院の事件については、ミスではなかったという認識なのは前述の如くですが、仮にミスが存在したとしても、それに刑事罰を与えるということへの抵抗感については、いままでも繰り返し述べてきました。もちろん、そのミスを繰り返すことの無いように反省すべきことは反省し、システムを改善し、罰ということとは全く別のところで補償や賠償を行うことは必要です。僕自身は、医療のみ免責せよという主張をするつもりはなく、過失犯全体の扱いについて、大きく見直すべきだと考えているのです。

 さて、今回の事件は、医療界のみならず、法曹界こそを揺るがす事件だったように思います。少なからずネット上で主張されているように、逮捕・起訴に関わった警察や検察に「刑事罰を与えよ」とは僕は思いません。医療が万能ではないように、法律も万能ではありません。人はミスを犯すし、避けがたい誤認逮捕もあるかも知れません。しかし、医療というものが、健康を失いつつあり、なにかしらの手を加えないと重大な結果に繋がるというものであるのに比較して、逮捕や起訴というのは、何もしなければ健康で幸せな生活を送っていた人間に、言われ無き制裁を加えるものであり、むしろそのミスは重大な罪であると思うのです。

 繰り返し述べているように、今回の事件のきっかけとなった事故報告書をつくった人々や、警察・検察の関係者の「ミス」について処罰せよとはいいません。大切なのは、そのミスを反省し、次につなげていくことなのです。過失への処罰は、医療の現場に限らず萎縮を生むだけです。医療関係者にとってミスではなかったと思われるような症例について、「ミスをきちんと認めよ」という主張がされるよりは、今回の件は明白です。医療行為の正当性における複雑な議論よりは、「無罪」か「有罪」で結果がでる裁判において、「無罪」の人間を逮捕・起訴したということは立派にミスが証明されていると思うのですけれど、そうではないのでしょうか。また、今回の件に限らず、一刻も早く、日本にも、推定無罪の原則をふまえ、人権を侵害することのない成熟した刑事裁判のシステムを築いて欲しいと強く願います。