医療崩壊など

 読了報告だけしかしていなかったので、今さらながら感想書いておきます。「他はともかく、ここだけは真剣に書いてます」ということだそうです。テツオ兄さん(多分)初めての試み。わー頭良さそう。このやる気を学部生時代にみせていたら、ほら、あの、僕らに必須の資格試験だって…いや、なんでも無いですごめんなさい。
 まずは「医療経済学」のエントリから。中途半端に引用してもよくわからなくなるので、是非一読をおすすめします。
http://d.hatena.ne.jp/Nylon/20060824#p1
で、とりあげられている本からの引用、

「改革」のための医療経済学

「改革」のための医療経済学

 意外に思われる読者も多いかと思いますが、国際的な医療経済学者の間では、少なくとも、総医療支出と急性期医療支出(現時点で総医療支出の大部を占める)については、「医療費高騰の犯人探し」はすでに終了しています。…(中略)…「犯人」として疑われた5つの要因は、いずれも「小物」であったということです。この5つの要因とは、
 
1 人口の高齢化
2 医療保険の普及
3 国民所得の影響
4 医師供給数増加(ないし医師誘発需要)
5 医療分野と他の産業分野の生産性上昇率の格差
 
 医療費高騰の主犯格については、「医療技術の進歩」ということでほぼコンセンサスが得られています。

というあたりは、現場の医者たちは嫌っつうほど分かっていることだし、多分厚生労働省もバカじゃないから知ってはいるはずです、決して言わないけど。当然、皆平等に高度な医療や、夜間救急医療を与えようと思えば、莫大な金がかかるわけで、医者たちの「金を出せ」の叫びは、給料とかそういうこと以前に、保険医療として、治療に必要な金を出せということなのです。
 そのあたりが情報操作され、まるで医者の怠慢やずさんな病院経営のせいであるかのように思われています。そもそも、国民皆保険、ほぼ全てが保険医療という特殊な体系であり、「そりゃあんまりだろ」という診療報酬が勝手に決められているのであり、根本的な制度の不備を、「節電・節水」だとか、「効率化」だとか言われてしまうと、戦時中のスローガンかと思ってしまうのです。
 もう一つコメント。

ちなみに、私は患者が主張する医療への安全要求自体を、たとえそれが過度であっても、(医療従事者が安易に)非難するべきではないという考えです…

これは僕も基本的には同じ考えです。今でも、ただ単に、患者さんから気持ちをぶつけられるということだけであれば、それがどんなに理不尽なものであったとしても、恐らくなんとか受け止め切れるとは思います。ただ、その感情の問題に、マスコミがのっかって過剰に煽り、さらには警察が絡んできたことで、一斉に医療者が反発してしまった、という印象です。
 もう一つ、産科医療の崩壊について。これも非常にわかりやすいので、一読をおすすめします。
http://d.hatena.ne.jp/Nylon/20060830#p1

厚労省カミカゼ…結果的に「産科医が一人で頑張るシステム」をぶっ壊してくれたのは警察…

この事件が医療に与えた影響について、特に過酷な勤務状況にあった産科医は、早くこの膠着状態から開放されるべきであったと私は考えていますので、よく巷で騒がれているような産科医の減少による産科医療の崩壊はむしろ望ましいと考えています。確かに産科医が何の準備もなく激減する可能性は問題ですし、お産の場の不足が永続することは社会にとって損失です。しかし、それ以上にこの件における司法の介入が、これからの我が国の産科医療向上の方向性を完全に見誤らせるという大きな問題を孕んでいるという事実を指摘させて頂きたいと思います。

 例えば、ある県下最大の市における救急医療体制において、公的病院がほとんど機能していません。下手すると、かかりつけの患者さえ断りやがる。そのため、レントゲンも満足に撮れないような民間病院がほぼ全て引き受けざるを得ず、僕らのような卒後10年未満くらいの若手が、強制的に入れられた外勤当直を渡り歩きながら救急医療を支えています。そういう生活していると、産科に限らず、現行の病院数を維持するのは難しいという考えもあります。安全要求や大病院指向が高まる中、一度ある程度ぶっ壊して、病院の数を減らして人員を集中させるしかないのではないかとも思います。
 ちょっと前まで医者は過剰だとか言ってたくせに、結局やっぱり足りないってことになったり、国のやることはよくわかんないです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060831-00000208-yom-soci

医学部定員計110人増、医師不足10県と自治医大

 医師不足が深刻な県の大学医学部の定員増を暫定的に認めることについて、厚生労働、文部科学、総務、財務の4閣僚が31日、合意した。

 現在、全国の医学部定員総数は約7600人で、最大110人の定員増となる。

 国会でも散々突っ込まれながら、厚生労働大臣が明確な答えを出しているのをみたことがありませんが、仕事量とか、労働基準法完全無視状態の勤務状況とか、そういうことを分かった上で医者の数を計算しているとは思えません。また、専門性というのはやっぱりあるので、純粋に「この病院に医者が何人いればいい」という数だけの問題ではないところもあります。そのあたりは、「偏在」の一言で片づけられていますが、じゃあ、偏在しすぎて医者が仕事からあぶれている地域を名指しして欲しいです。僕はそんな地域知りませんけど。偏在の次は、医者の良心とかなんとか。「比較的勤務の楽な眼科などに流れやすい」なんて報道して、まるで眼科の医者が楽しようとしてるみたいな物言いです。失礼にもほどがあります。本気で「眼科にいくような人が、産婦人科に行けば今の問題は解決するのに」とか思ってるんでしょうか。
 ちょっとまとまりませんけれど。

無過失補償制度とか

 後でなんか書こうかなあと思いながら、ブックマークに放り込んでそのままになっていたものを羅列しておきます。

「死産」を届け出たら「業務上過失致死」? 産科医をやめます

http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2006/08/post_ee1d.html

いくら医療技術が進歩しているとはいえ一定程度の流産・死産は避けられないのが生物である人間の宿命である。
ところが死産を警察に届けたら、「業務上過失致死」で立件されそうだという医師がいる。どうも親の側にも、「お産は安全で、母子ともに健康なのが100%」という思いこみがあるのではないか。

 ネタ元は2chのようです。事の真偽は不明ですが、昨今大いにあり得る話です。これが異常であることに気付かないということが、異常です。

出産時の医療事故、過失立証なくても補償…政府検討へ

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060825it16.htm

政府・自民党は25日、出産時の医療事故について、医師の過失を立証できなくても患者に金銭補償を行う「無過失補償制度」の創設に向け、本格的な検討に入ることを決めた。

 この問題では、日本医師会が今月8日、政府の公的支出と妊産婦の負担金を財源にした無過失補償制度の構想を発表している。これに対し、厚労省は「政府の公的支出は難しい」としており、産婦人科医側に負担を求めたい考えだ。補償の範囲については、母親と新生児の両方の被害を対象とする方向となっている。

 政府・自民党は、第三者機関が医療事故の原因を究明する制度や、医療関係の紛争を裁判以外で処理する制度もあわせて検討する方針だ。制度の導入により、ずさんな治療行為が横行する危険性なども慎重に考慮する。現在、20歳未満の障害児の養育には特別児童扶養手当が、20歳以上の障害者には障害基礎年金が支給されており、こうした既存の社会福祉制度との調整も必要になる。

 無過失補償制度への第一歩だとは思います。しかし、なぜ産婦人科医が費用を負担するのか。もちろん、医者に重過失があれば、それを産婦人科医のお金で補償するのは当然です。そうではない、已むを得ない、誰のせいでもない不幸なケースを救おうというのがこの制度の考え方のおおもとであり、その不幸なケースは決して医者の責任ではありません。大きく勘違いしているものがネット上にも少なくありません。

事故の補償を全額公費に出させるのか

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2006/08/88_ada8.html

医療事故に何らかの補償ができる制度が必要だ、という医師会の主張は考えてみてもよいが、今日、医師会が出産に関する医療事故の補償制度の案を発表した。その内容が、財源を政府から60億円拠出させ、さらに妊産婦から負担をさせるというもので、医師自身は何の負担もしない内容。

自分たちの業務上おこした事故の補償に対して、丸ごと公費で面倒見る制度なんて他のどこにあろうか。

 これについては、コメント欄で反論されています。それに対して理解して頂いている様子は無さそうです。やはりこの方も、医療において「不幸な結果」を、すべて「医療被害者」という言葉で括っているように感じます。明らかな過誤によっておきた不幸な結果であれば、もちろん、医師個人や病院が補償する義務を負います。そうではない部分、誰のせいでもない不幸な転帰に関しては、現在、補償制度はありません。そもそも、病院というのは、もともと健康や命が脅かされている人がやって来る場所であり、命が有限で、人知に限りがある限り、救えない命や治せない病気というのはあるのです。それは、当然医者のせいではないから、「補償」する義務は当然ありません。
 また、同じ方が次の記事を書いて、炎上しています。

医師たちのブログの内容に絶句

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2006/08/89_11f0.html

それを辿っていくと、リンクのリンクぐらいであたる医師のブログの内容がひどいことに驚きます。事故が起きて世論が過敏に反応するものだから訴訟大国になって医療は崩壊する、と一見まともなことをおっしゃっています。そうしたコメントをよく読むと同業者のことばかり考えていて、自分たちの秩序世界だけしか考えていなくて、患者やその家族の納得性や、医療の満足度といったことが全く顧みられていません。パロマ雪印の論理と一緒です。マスコミが騒ぐな、とは一体どういうことなのでしょうか。オレ様医師たちの秩序を壊すような人に、裁判を受ける権利や知る権利など与えてはいけない、という議論に見えます。

 まあ、当然の如く医師(を名乗る人)達の反論により炎上しました。この流れは、とりごろうblogの時と同様であり、予想の範囲内だったので、当時特に言及はしませんでした。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060607#p2
 こうやって、お互いの主張が全くかみ合わないまま終わるのをいろんなところでみてきましたが、医師(を名乗る人)達の側にも、もう少し冷静さが必要だと考えているスタンスは、以前とかわりません。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060610#p2

 医療関係者からは「身内」とくくられる、同じ医師として「医師の品のない発言」に触れると、擁護する気にはなれません。彼らと同じに見られてしまうかも知れないと思うと、その医師に対して、むしろ憎悪すら感じます。ですから、僕は「真っ当な」身内はかばうかも知れませんが、「品のない、不誠実な」医師に対しては、かえって厳しい感情を持っています。それを含めて「身内」とされることには不快感を感じますが、医療関係者以外がそういった感情を抱くのは容易に理解できるし、この誤解はあくまで医療側の責任です。

 内容としては申し分なく、専門知識も、データの解析も、それによる自分の意見にも問題ないのに、やたらと尊大だったり、自分の意図を読めない者をあからさまにバカにしたような物言いをする医師というのは、おそらく、「自分は正しい筋道で話しているのだから、理解しないのは相手が悪い」と断定しているのだと思います。これは、すべてが理論で片付くと思いこんでいる大いなる誤解のなせる技です。メッセージを受け止める側としては「理屈はわかるけれど、感情として不快」あるいは、「不快すぎて内容を判断する必要もない」ということになり、どんなに「正しい」理論であっても、理解には通じません。