僕は外科医になれるのか

医療のこれからは厳しい。と繰り返し言われる。身を守る医療。逃げる医療。
僕はもともと、目の前に何か困っている患者がいて、それを最も幅広く診ることのできる力を身につけたいと思って外科医になろうと思った。でも、ふとした瞬間に、「僕の専門ではないので…」と言って逃げようとしている自分に気付く。
ひとつには、甘えとか、さぼろうとする気持ちがある。もうひとつには、訴訟などの厄介ごとに巻き込まれないための保身の意味もある。いずれにしても、哀しい。

4月から今の病院で働きはじめ、いろんな症例を「執刀」させてもらっている。もちろん、ベテラン医ががっちりサポートに入った状態で。そうやって執刀していながら、不穏当な発言かも知れないが、少なくとも現在、僕の手術は決してうまくない。うまくないというか、下手くそな部類だと思う。誰でもみんな最初は下手だったのだと思うし、経験を重ねるしかないのだろうけれど、本当に経験だけでなんとかなるのか。スポーツ選手や芸術家と同様、外科医というのにも天性のものがある、といわれる。もちろん、天性のものに加え、経験を重ねることは必要なのだけど、どんなに経験を重ねても、どうにも外科医になりきれない人も多いらしい。

もし、僕がどうしても外科医になれない種類の人間だとしたら、さっさとメスを置いたほうがいいのかも知れないということをふと思ってしまった。例えば術後の合併症が出たときに、僕が執刀したという事実は世間にはどううつるのだろうか? 実際は、ベテラン医が目の前に立っていて、どっちが執刀しているのかわからないくらいだったりするわけだけれど、それでも、未熟な僕が執刀医の位置に立たなければおきなかった合併症もあるのだと思う。もちろん、僕ら若い世代がなんとか手術手技を学んでいかなければ、将来、外科医がいなくなってしまうのだけれど。でも、患者はみなベテラン医に執刀されたいと思うはず。

研修医や若手医師が「執刀」することは、別に人体実験とかそういうことではなく、指導医ががっちり着くという意味では、かえって中堅どころが単独でやるような手術よりも安全なことも多く、その結果の合併症すべてが、現在報道されているような「未熟な医者が執刀し、医療ミス」ということではないのだけれど。

まあ、ちょっといろいろ行き先に悩んでしまった部分もあるので、春から臨床を離れて大学院にすすむというのは、結果的に良いタイミングだったかも知れない。