2003/8/6(水)「コンビニで葛根湯を」の前半

 昨今の加熱する医療ミス報道やらなにやらで、患者さんの中には、自分の主張することがすべて認められないと気に食わなくて、なんでも文句を言えばいいと思っている人がいるのです。自分は病気で已む無く受診している弱者であるという顔で大いばりしているのです。

 日本においては、おおむね自由に、患者さんがかかりたい医者に、かかりたい日に行くことができるわけですが、これが世界的にみて、かなり特殊なことであるということをご存知でしょうか。3時間待ちの5分診療などと叩かれる医療の世界ですが、予約患者を限定して、ゆっくり診察時間をとろうとしても、その日に無制限に患者がやってくれば、自ずと診療時間は短くなります。それぞれによい点も悪い点もあります。全てを求めるのは不可能です。

 例えば、カナダでは、医療費の自己負担は無いのですが、医師の診察を受けるためには予約が必要で、しかもその予約は何ヶ月も先になるといいます。医療先進国と思われているアメリカでは、基本的に、急変時でも、かかりつけ医に予約がとれなければ、ERと呼ばれる救急外来を受診するしかありません。最初のトリアージによって軽症と判断されれば、朝一で受付しても、夕方の診察になるのは珍しいことではありません。それを待てずに帰宅するときは「自分の責任において診察を受けない」旨の誓約書を書かされます。

 日本の医師の数は、先進国と比べて決して少なくないといわれていますが、外来を受診する回数などを考えると、圧倒的医師不足の国になってしまいます。そして、それは、緊急性がなかったり、そもそも治療を要しないような軽症患者の「コンビニ受診」などによって、医療費と医師のマンパワーの両方を浪費していると言えるのです。  例えば、アメリカでは、平均すると年に3回くらい外来を受診しているのに対し、日本人は年平均8回くらい受診しています。アメリカでの一般的な内科医の診療は、ひとりの患者さんにつき、初診であれば30分、再診であれば15分くらいの予約枠を用意しているといいます。

 日本では、受付時間にやってきた患者さんは、すべて「応召義務」によって診察の義務が生じるので、いつもの二倍だろうが三倍だろうが、やってきた患者さんをさばかなくてはいけません。それでいて、生半可な医学知識をひけらかす患者さんや、権利意識が異常に高い患者さんは、医師の「専門的意見」なんていうものはとりあえずわきにおいて、「風邪だから注射をしてくれ」とか「抗生剤も出してくれ」とか「家に誰もいないから入院させろ」とか、声高に主張するのです。

 当直勤務している夜中に、病棟で血を吐いた患者さんをみているときに、「一週間前から体が痒い」人がやってきたりして、「いつまで待たせるんだ」と怒っていたりするわけです。本当の急患であれば、どんな時間にやってきても仕方がないし、僕らは誠心誠意治療にあたりますが、なぜわざわざその時間を選んでやってくるのか、というわけのわからない人もいたりして、うんざりすることは多いのです。僕らは夜勤をしているわけではなくて、通常の日勤に引き続いて働いていて、また次の日には勤務があるのです。そんなところへ、朝の4時頃「眠れないから睡眠薬をくれ」とかいって救急外来を受診するような人間には、正直「お前のせいで俺も眠れなかったよ」とか、文句のひとつくらい言ってみたいです。コンビニはどこにいっても存在し、社会に昼も夜もなくなって、救急外来を、昼間混んでいる時間を回避するためのものだと勘違いしている人にとって、夜眠れずに治療にあたる人間の気持ちなんてわからないのかも知れません。そうやって、精一杯ボランティア的診療をしていながら、なにか気に入らないことがあれば投書されたり訴えられたりする昨今です。やっかいな患者はよそへいってもらいたいと考える病院も増えています。そうやって自らの首を絞めていることに気付いてもらいたいのです。

 もちろん、そういった緊急性のない患者も含めて、すぐに受診できる外来があるという状態が、真の救急患者も受診しやすくするという一面があることは否めません。ただ、毎日野菜ジュースを飲むような気分で、ただの塩水だの砂糖水を点滴しにくる老人たちとか、もらった薬を帰りのバス停のゴミ箱に投げ捨てるような人のために、せっせと税金や保険金を払っている人たちのことをもう少し考えてみてほしいのです。

 落語で「葛根湯(かっこんとう)医者」という話があったように思います。葛根湯とは、消炎作用や解熱作用を持つ薬で、現在も使われている漢方です。特に、いわゆる風邪症状のときに使う薬なんですが、誰彼構わずこの薬を出したヤブの代名詞として、「葛根湯医者」という語が使われていたようです。現代の葛根湯医者は、「点滴医者」か「抗生剤医者」か。無駄な医療費を注ぎ込み、世の中にたくさんの耐性菌を作った原因なんですが、これは決して医者だけの問題ではなくて、患者側の問題も大きいのです。

 薬を出さないと利益が出ない日本の保険制度と、飲む飲まないは別にして、とにかく薬を出してもらいたい患者がいれば、風邪だろうがなんだろうが抗生剤出したり、なんだかわかんない注射したり、点滴したりといったことが行われます。

 熱が出れば、平日はもちろん日曜日や夜中でもおかまいなく医者の所に駆けつけて、当たり前のように解熱剤が使われるのです。でもそのほうが親切な医者のように思われるのです。逆に僕のような解熱剤を出さない医者は不親切極まりないのです。僕も患者の求めるままに、かえって毒になることもあるような薬をホイホイ出していれば楽なのですが、それは僕のやりたい医療じゃないのです。

 病気が重いほど熱は普通高くなります。熱の高さは、病気の重さのひとつのバローメーターです。だから熱が下がると病気がよくなったような気になるにもわからないではないのです。ただ、解熱剤で無理やり熱を下げることは、もともとの病気の治療にはならないし、場合によっては、病気を悪化させるのです。そういうことを一生懸命説明して、いったんは薬を持たずに帰った患者さんが、夜になって「熱があがりました」と、再び外来にやってきたりするのに出会うと悲しくなるのですが、これは社会に浸透した間違った「常識」のせいなのだろうと思うのです。

 ウイルスや細菌など病原体が身体に進入したとき、これを排除しようとする作用の一つとして発熱や炎症反応がおこります。ウイルスや細菌は熱に弱いので、身体はきついのですが、ウイルスや細菌を排除する作用があるのです。

 でも、脱水が心配だから熱を下げたいと思う人は多いようです。しかし、水分が一番失われる原因は解熱時の発汗です。解熱剤を使うたびに大量の水分が失われ、かえって脱水の原因を作っているということは、意外に知られていないようです。

 もちろん、そうした事情をよく理解した上で、一時的な解熱剤の使用や、水分補給のための点滴をする分には構わないと思います。外来で行うような点滴は、少なくとも栄養補給という観点からは程遠いものです。たかだか5%のブドウ糖液を500 ml投与したとして、得られるブドウ糖は25 g、飴玉のひとつも舐めてもらうか、ジュースでも飲ませたほうがてっとりばやいのです。点滴をすることによって気分的に楽になることはあるでしょうが、実際、たいしたことはしていないわけだし、そういう個人のわがままな医療に対しても、保険を適用し、みんなの負担でまかなうというのは問題だとも思うのです。

 また、風邪で出される抗生剤というのも疑問です。もちろん、肺炎などに進行した例では、有効かつ必要ですが、風邪のおおむね90%はウイルスが原因で、のこりわずか10%が細菌などが原因となって起こるものです。抗生剤というのは、細菌には有効ですが、ウイルスには全く効きませんし、濫用は、耐性菌を生むことになったり、ろくなことがないのです。

 クリフトン・ミーダーという人は、その著書の中で、「あなたが診ようが診まいが、ほとんどの外来患者の病気は治るものである」といっています。もちろん、解熱剤や抗生剤、点滴が必要な病気もあるし、一刻も早い受診が必要な病気も多いです。ただ、そういう人が、すぐに医療機関を受診できるようにするために、また、そういう人にベストコンディションで医師が診療にあたれるように、「コンビニ受診」は減ってもらいたいと思うし、医師の診療を受けるからには、ある程度僕らの「専門性」も尊重してほしいと思うのです。