研修医の一日

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朝から晩まで走り回って必死に業務をこなし、そしてやっとなんとか終わった頃にはもう消灯時間をとっくに過ぎている。会いに行かないんじゃない。会いに行けないんです。業務は常に全般的に後手後手にまわっているのでどれももう後回しにはできません。これ以上睡眠時間をけずったら頭がおかしくなりそうな状況で、一体私にどうしろと・・・

 うちの外科に来ているローテーターの研修医も、かつて入局してストレート研修をしていたときとほぼ同様に、各チーム配属し、チームの全ての患者に関わらせるという研修をしているのですが、大学の研修センターには、研修が過酷すぎるという苦情が寄せられるということです。それで、たとえば、手術標本整理など、今までは研修医にも関わってもらっていたことを、相当中止するらしいです。
 雑用、って一口に言うけれど、たとえば検査のオーダー、伝票書きだって、それなりにスキルのいる作業です。それは実際の内視鏡やCTの伝票を見れば一目瞭然で、ただ一言「検査お願いします」としか書いていないものから、「5月に前医で門歯より25cmに2型の腫瘍を指摘、病理未。平成元年に胃癌で胃切、B-I後」といった、おおむね必要充分なものまでさまざまです。もっとも、伝票が適当なのは、何もできない研修医に限ったことではなくて、お偉いお医者様になってなお、ひどい伝票しか書けない方々もたくさんいますが。そういうのをみると、ますます研修医へ正しい教育をすることの重要性を感じます。
 外科において、手術標本をどう扱い、最終的な診断を下し、その後の治療を検討するってのは重要なプロセスだし、リンパ節をはずしながら番号を覚えるのも、標本を計測して、癌症例のデータを正確に残すのも、重要なことだとは思うのですが、大学の研修センターは、「研修医はリンパ節の番号なんてしらなくていい」という判断を下したのです。
 こういった「雑用」と呼ばれる、しかしスキルがないとまかせられない種々の作業は、かつてはすぐにでも身につけて、研修医であっても一人でできるようにしておかなくてはならないものでしたので、教える方も教わる方も真剣だったのです。実際に、次の年には外の病院に出て、自分で一人でこなさなくてはいけなかったし、あるいは、新しい研修医に伝授しなくてはいけませんでした。
 かつてのストレート研修を賛美するつもりはありませんが、現在は、その後外科に進まない大部分の研修医において、それが重要な知識ではなくて、単なる「雑用」になっているのは事実だし、それならば、研修医に関わらせなくてもいいのかも知れません。これを言ってしまうと見もふたもないし、それを続ければ後で困ることは分かりきっていることですが、僕らも、いちいち教えるより、自分でちゃっちゃとやってしまった方が楽な場合も多いのですし。

 引用した記述からは相当論点がずれてしまいました。僕も研修医時代、似たようなジレンマに陥ったことがあります。それでも、最低でも1回は患者さんに会いにいくようになんとか頑張ってはいました。朝起床時刻にあわせて、6時頃から採血。慣れないうちはそれでも8時の朝食までに終わらないことがありました。その他、朝食待ちの検査もこの時間帯。エコーとか、75gOGTTとか、PSPとか。
 僕らなりに、処理できる限界を考えて、検査をばらしたりしているのに、上司の鶴の一声で、予定外の検査をねじ込まれて憤慨したり。これも上司によるんですよね。研修医なりの仕事配分ってのにきちんと耳を傾けてくれる上司と、まったくそういうことを無視して、自分の思いつきを最優先させようとする上司。
 僕の研修医時代には、いくつかタイムリミットがありました。まずは前述の、朝8時の朝食。医者の検査の都合で患者の食事を遅らせるな、と怒られるので、必死でした。無論、内視鏡とかCTなんかは例外ですけど。さらに夕方5時。日勤時間に提出しなければいけない検体や検査オーダーはこのラインでどうにかしないといけませんでした。さらには夜9時の消灯。ここまでにベッドにいかないと患者さんに会えません。夜回診の医者にへばりついて、滑り込みで受け持ち患者に顔見せたりしてたのでした。
 それでも、緊急入院だとか、消灯までに終わらない手術だとか、8時とか5時とかのラインを気にして仕事をこなしてるのに、自分の中では優先度の低い(次の締め切りラインまででよい)仕事をナースや上級医に、「ただちに」命令されたりすることは多々あるので、よく憤っていたものです。せっかく途中まで点滴のオーダー入力したのに、中断されて、また最初からやりなおさなくてはいけなかったりとか、消灯9時以降のラインでかまわないので、日中全く書かなかったカルテについて責められたりとか。旧病棟には、仮眠するような場所もろくに無く、処置台をとりあっていたのを思い出します。

 「自分がしないとまわりが動かない」っていう思いのもとに動くのは、最初から「自分が何もしなくてもなんとかなるだろ」っていう姿勢なんかとくらべようがないくらい良いことであるのは確かなんですが、少なくとも、研修医のうちは、必要以上に「自分がしないと」と思い込まないほうがいいのかも知れません。僕はずっとそう思い込んで突っ走ってしまったので、きっとそれは、周囲の人間に、生意気で実力の伴わない研修医が「思い上がってる」という印象を与えるのにじゅうぶんだったと思われますが、それでも、そういう不利なイメージを与えてでもなお、僕は僕の信念で医療をやりたいと、なんとかがむしゃらに頑張っているうちに、かえって周囲が見えるようになってきました。ただ真正面からぶつかるのではなくて、うまく周囲の人間に助けてもらう術も少しずつ覚えてきたし、自分自身も、ゆっくりではあるけれどスキルアップし、前よりはできることが多少は増えました。仕事の流れとして言えば、だいぶスムーズに流れているのだと思います。逆に、当時のがむしゃらなまっすぐさ、ってのが失われているような気がして寂しくなったりもするのですけれど。

 勢いだけで書いたので、まとまりません。
http://d.hatena.ne.jp/tobitaQ/20051015
↑これらの件に関して、ここの記述が非常によかったです。中途半端に引用すると、意味合いがかわったりしてしまうと思うので、興味ある方はご一読を。