極力福島県には立ち入らない

http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060417#p1
 4/17のエントリにおいて、言葉の一部分だけ抜き出して、「極力福島県には立ち入らない」という表現が稚拙であるとか、福島県に失礼だとか騒いでいる方がいるようですが、僕は、その理解力こそ稚拙だと思います。
 僕の文章が、福島県を貶めているでしょうか。あくまで、福島県警に対する不信を述べているだけです。評価がいまだはっきりしない事件に関して、凶悪事件と同列に扱い、それ自体に多くの抗議が集まっている逮捕という行為に「表彰」を与えるという事実は、単に警察の一部の意見ではなく、トップの意志を明確にした、福島県警全体の方針を表していると捉えるのは自然なことです。
 福島県民に罪があるはずなどなく、また、福島県で働く医師たちを貶めるつもりもありません。僕は小さな人間ですが、僕が医師である以上、目の前の患者さんに対しては、個人的な感情はさておいて、全力で治療にあたります。もし、自分の外来に福島県警の関係者が受診したとしても、もちろんそれは同様です。それは応召義務とかそういうこと以前に、医師としてのプライドであり、良心です。誰がどうあれ、医療は同じです。手を抜くとかそういうことはあり得ません。しかし、感情としてはあまり関わりたくありません。だからこそ、僕は自衛の手段として、極力福島県には立ち入らないと発言しただけのことです。普通に考えて、この日本でごく普通に暮らしている人間が、ある地域に立ち入るのも嫌だという感情を抱くのは、尋常なことではありません。なぜこんな感情を抱くのかといえば、尋常じゃないことが起こっているからです。
 4/17にも述べましたが、警察が、自らも認めるように、「ほとんどない医学知識」に照らし合わせた結果、大野病院の事件で医師を逮捕するべきという結論に至ったところまでを、百歩譲って認めるとしても、その後の全国の学会や医師会など、各方面からの正当な抗議を受けてなお、「表彰」とはどういうことなのでしょうか。専門家たちが、こぞって異を唱えていることに関して、警察自ら専門外であることを認めながら、それでいて、その逮捕の正当性を疑わないという根拠はどこにあるのでしょうか。その逮捕は、国会でも審議されるという前代未聞の事案です。単なる感情論でも同情論でもない疑問の声が各所からあがり、また、現在係争中の事案であり、まだ有罪が確定したわけではない問題です。それを、警察内部で「表彰」し、その「正当性を誇示」するというのは、大阪府保険医協会の言葉を借りれば、「全国の医師団体をはじめとする関係世論に対する恫喝と挑戦に他なりません」。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060420#p1
 福島県警の行動は、多分に政治的なアピールを感じさせますが、とにかく、社会的にはまだまだ評価のはっきりしていない、その逮捕を正当としました。表彰されるべき行為としました。すなわち、今後も福島県警の姿勢は、現在の医療水準に照らし合わせて妥当と思われる医療行為を行ってもなお、専門家の意見などは二の次で、逮捕を行うものだと考えられます。福島県警の強権発動です。尋常ではありません。そんなおかしな強権力の及ぶ地域には近寄りたくないのです。これは茶化しているわけでもなんでもない、極めて真剣な叫びです。僕が医師を辞めない以上、福島県内で病人に遭遇すれば、強権に怯えながらも、自分のプライドと良心のもと、医療行為にあたるしかないと考えるからこそ、僕は、福島県には立ち入りたくないのです。現在も福島県で働く医師のうち、少なくない方々が、こうして怯えながらも、目の前の罪のない病める人々の診療にあたるために、そこに留まっておられるのだと思います。ネットで「医者は全て福島県から逃避せよ」というような極端な発言が飛び出しています。通常時なら、それを単なる妄言として無視するところを、そうはできないというところに、本当の危機があります。ただ、そうした発言をも含めて、僕としては、決して福島県を貶めているということではないと思っています。たまたま福島県という場所で、その地域の警察のトップの強烈な意思表示をされているので、そこが危険だと感じているのです。それを「そんなバカなことを」と言っている医者たちは、概してその理由を述べていません。
 僕は崇高な自己犠牲精神において、全てを投げ打ってみんなのために尽くしたいとまでは思えない程度の小さな人間です。ですから、おかしな事態からは逃げ出したいし、医師のおかれた異常な労働環境に対しても声をあげたいのです。それでも、僕らがすぐにそういう行為に移れないのは、とりあえず目の前に患者さんがいるからなのです。ストライキというわけにはなかなかいきません。国が金を出さなくても、とりあえず目の前の患者さんを見捨てるわけにはいきません。そうしてずっと耐えてきているのです。また、声をあげるにもパワーが必要ですから、とりあえずおかれた立場で、全力で臨床に取り組んでいると、それ以外の行動に回す余力がなくなっていまうという側面もあるかも知れません。
 しかし、国の無策や、他の先進国に比べて異様に少ない医療費などをごまかして、まるで医師個人の責任、医師個人の怠慢であるかのように見せかけ続け、挙げ句の果てに凶悪犯扱いにして、刑事罰を問う、そんなおかしな話があっていいのかと、そういう当たり前のことを言っているだけなのです。
 無論、ネット上で匿名でこういうことを書くことが、直接的な支援に繋がりにくいことは自覚しています。ただ、こうして不特定多数の人間がみることのできる場所で、自分の意見を述べていくことが、一般への理解に繋がるかも知れないと思います。ですから、ここはここで「ザウエル」という愛着のある匿名に責任を持って書いています。同時に、こことは別に、実名を掲げて支援に協力もしています。微力ですが、実名を掲げるという意味は、また別にあると考えていますので。
 それにしてもタチが悪いのは、質の悪い医療ドラマよりも、偏向報道するマスコミよりも、まるで自分だけ高見にいるように錯覚した「バカ」だとつくづく感じています。インテリを気取って、自分だけが全ての問題を正しく理解していると思いこんでいて、他人の意見は寄せ付けず、常に自分の意見の断定しかしない人。あるいは医師を名乗って「人とは違うことを言っている」ということだけを盾にしている人。特に、テレビなどマスメディアに登場しては、勝手なことをしゃべっている人に、ほとんど良い印象はありません。
 例えば、いつ医療をしているのかわからないほどメディアに露出する、ご自分の病院のことは棚に上げながら、医療事故調査会とやらで精力的にご活動なされている某大先生は、「学会や講演会などで、『当直でもほとんど寝られずにぶっ続けで日常勤務に突入するような激務が日常化している医師の労働環境を改善しよう』などといって、その泣き言に拍手がおきるような体たらくだが、医師の激務と医療事故はそもそも関係ない。あくまで医師の未熟さだ」といって憚らない神のようなお方です。
 以前、スーパーマン医師の功罪について綴りました。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060208#p1
スーパーマン医師は素晴らしい存在だとは思います。しかし、それを基準にするのは間違っています。
 僕らは医師を目指した段階で、当然毎日定時の勤務、自分の予定を最優先という生活が送れないことは覚悟しています。そして、自分をある程度犠牲にして、急患や、受け持ち患者さんの急変に対応することは当然だと思っています。ただ、受け止める側が、それを当然の権利のように掲げると、歪んでくると思うのです。あくまで、こういった医師の良心と職業的プライドに基づいた行動は、本来「献身と感謝」によってうまく成り立っていたのだと思います。ただ、それが受け止める側の最低限の権利のように扱われていき、それに答えられるスーパーマン医師を唯一正しいものとして設定してしまうと、多くの凡人は間違いなくぶっつぶれると思います。
 さて、話題を戻します。人と違うことを言うということ自体には、それだけでは何の意味もありません。人と同じことだろうと、違うことだろうと、それがきちんとした意見かどうかということにしか価値はありません。そもそも、「人と違う」ことだけを大切にしている、人々は、概して根拠のない自信に溢れ、ことあるたびにいかに自分が凄い人間かをアピールしますが、そもそも中身のないアピールなので、人を貶めることでしか自分をアピールできません。自分では気付いていないのかも知れませんが、結局は自分が最高であり、それ以外のものは一段低いところにあるということを、言葉の端々ににじませています。そういう言葉こそ、ただ面白がっているだけの、バカにした、茶化したものだと思います。「何を偉そうに」というのは、そういう人々にこそ向けられる言葉のように思います。
 ただ、そういう中身のない発言には、そもそも真っ当な力を感じません。ですから、僕は決して、そういう力のない言葉によって、槍玉に挙げられたとも思えません。対話が成立しない相手とは、喧嘩だってできませんから、喧嘩を売られたとも感じませんし、喧嘩を売ろうとも思いません。