医療経済の歪み

http://d.hatena.ne.jp/ultravisitor/20070825#p1

「ごまかしても不誠実でも、競争に勝って金がもうかればそれでもいい」という風潮が蔓延したのがその根本的背景だと思うのですが、そういう風潮が蔓延した背景にはやはり、「共産主義政権の下で市場経済」といういびつな社会経済形態があったのではないかと素人ながら思ったりします。だってそもそもおかしいもん、「共産主義市場経済」って。共産主義といえばやっぱり計画経済だよね〜。私有財産という概念とまっこうから対立する共産主義がなんで市場経済なんだと。この矛盾が健全な市場の生育を阻害しているんじゃないかという気がしますね。

 このあたりが、医療の歪みにも通ずるものがあるなあ、と。
 そもそも、医療費削減だとか、病院のコスト意識を、とか叫ばれても限界があるんですよね。医療業界というのは自由経済ではありませんから。国がよくわからない基準で決めた保険点数で診療費が決められる上、基本的に来る者は拒めない応召義務のもと運営されているのだから、病院が頑張るといっても何を頑張ったらいいのかよくわかりません。
 自由主義経済ではないところへ、自由主義経済の中での考え方を持ち込んで「コスト削減」とか、「患者様への接遇」なんてことを言い出すから、現場の人間には相当な違和感が生じるのです。

思うんですが、健全な市場が育つにはやはり、「職人気質」というものがある程度必要だと思うんですよ。「職人気質」というのは、要するに「コストを度外視してもクォリティーに対してこだわる」ということでしょう。これがなければ誠意のある企業は育たない。コスト競争は市場経済の基本だけれども、コスト競争で勝てばいいってもんじゃないという職人気質が企業の中にないとやっぱりいびつな市場になってしまうのではないかと。こうシロートであるオレは考えるわけです。

 これも医療にも当てはまるんじゃないでしょうか。かつては、特に国公立の病院などでは、保険が切られるということなんて意識せずに、とにかく目の前の患者さんに湯水のように高い薬を使っても、補助金などでなんとかなりました。
 かつてに比べ、受診する患者さんが増え、要求される医療水準もあがったにも関わらず、肝心の医療費は、削減という国策。もうそうすると、「競争に勝って金がもうかる」とかいうこと以前に、経営を成り立たせるために、患者さんに対して不誠実なことをしなければならない場面が多いのではないのでしょうか。
 若い医師が薄給と激務にも耐えてきたのは、「職人気質」という部分があって、「自分を頼る人を見捨てられない」という義務感と、「給料は安くとも、腕のいい親方について学びたい」という思いがあったからこそです。親方のいない病院に若手がいかないのは、待遇よりも給料よりもまず、教育の機会が奪われるからであり、コンビニ受診に気力と体力を奪われるのは、いつの間にか、目の前の患者さんが「自分を頼る人」から、「受診の権利を主張するだけの人」に変質してしまったからだと思うのです。