大野病院関連

参議院予算委員会(3/12)

http://www.dr-sakurai.jp/
予算委員会ビデオ
 桜井充議員(民主党・医師)より、福島県立病院の産婦人科医師逮捕に関する質問がありました。ポイントをまとめておきます。

 まず、医療というものには必ずリスクがあり、何か事故が起きたときに医師個人が責任を負わされるというのには問題があるということに対して、厚生労働大臣は、「公訴中の案件であり、コメントできない」と回答。「ただ地域の病院が限られた条件の中、懸命の努力をしているのは敬意を表す」との言葉にとどめました。
 地域医療が危機的である、医師数が足りていないという認識はあるかという問いには、「あくまで総数は足りていて、偏在の問題と認識している」と回答。総数が足りるとする根拠は、以前の厚生労働省内での検討によるとしています。それに対して「外来患者数、入院患者数あたりの単純計算であって、手術、検査、当直の医師数は含まれていない」という私的には「細かな資料はないが、足りていると結論付けた」との回答でした。
 また「偏在の問題の解決のためには、大学に地元出身者枠を設けたり、小児医療などの分野で、センター化、集約化をすすめたい。ただ、地元住民は、自分の住む地域にそのセンターを求めるため、その理解を得ながらすすめたい。全国の人口5-6万規模の自治体全てに、万全の医療設備と医師を確保するのは不可能だ」としています。

 国は地元住民の「どうしても近くに病院を」という声を否定している、という認識でよろしいでしょうか。それに足りる医師数は計算していないわけですから。しかし、現状は、センター化されているわけでもなく、医師は分散して配置されています。そうして、一人医長という状況で、限られた条件の中、医療を行うことを強要されているわけです。そして、何かあれば個人の責任にされているのです。

逮捕の波紋:大野病院医療事故/下 医師の拠点集約へ /福島(毎日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060313-00000090-mailo-l07

 ◇議論、事件で一気に加速−−県、矢継ぎ早の対策
 「逮捕は確かにアクセルになった。ブレーキを掛けられないくらいのうねりになり、正直、このまま突き進んで良いのかなと思う」。自らも小児科医で、県保健福祉部健康衛生領域の今野金裕総括参事は困惑気味だ。
 医師の逮捕後、県庁内では、医師が各地に点在するより、拠点病院に集約した方が県民に良い医療を提供できるとの意見が大多数を占めるようになった。今野総括参事は「本来『究極の選択』であるはずの問題が、一気に振り子が振れた感がある」と話す。

 県の中でもシステムの問題は把握していたということですよね。逮捕・起訴という段になって動くというのは哀しいことです。参議院予算委員会での、厚生労働大臣のコメントともかぶってきますが、国は病院減らし、医療費抑制をしたいけれど、住民の批判が自分たちのほうを向くことを恐れていたのでしょうか。そして、本来批判されるいわれのない、今回の事件、逮捕された医者をはじめ、全国で真っ当に働いている医者たちをスケープゴートにして、医療改革をすすめようとしているのではないでしょうか。「ほら、医者たちが辛くて働けないって言ってるよ、国としては各地域に病院おきたいんだけれど、仕方ないよね。医者が無理だって文句いってるんだから」という立場。それでも「総数は足りている。偏在の問題」と言い切ります。全ての地域に医者が配置できないというのは、普通「総数が足りていない」と言うのだと思いますが。

 起訴を受け県病院協会は11日、「逮捕、起訴は地域医療に携わる医師ならびに安全で質の高い医療を求める地域住民に対して大きな混乱を招いた」との緊急声明を発表した。全国的にも医師側の反発は続く。こうした動きに捜査関係者は「公判が始まれば、今までの同情論がひっくり返る。それが過失の証明になる」と自信をのぞかせる。医学関係者と捜査当局が真っ向から対立する形となった今回の逮捕、起訴。波紋は広がるばかりだ。

 同情論がひっくり返る→過失の証明、とはどういうことなんでしょう。僕らの知らないもっと別の大きな「過失」があって、それによって同情論がひっくり返るというのならば理解できるのですけれど。

声なき子宮の訴え(朝日)

http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000000603140003

 癒着胎盤にどう対応するか――。医学生向けの教科書(『STEP産婦人科(2)産科』可世木久幸監修、海馬書房)には、「まずは胎盤用手剥離(胎盤を手を使ってはぐこと)を行いますが、ここで無理をすると、大出血や子宮内反を招くので注意が必要です。胎盤用手剥離が難しい場合には、原則として単純子宮全摘術を行います」と記載される。

 県警は専門家から話を聴くなどして、多くの血管が密集する胎盤を無理やりはがすと、大量出血して母胎に危険が及ぶ可能性があり、通常なら、無理にはがすべきではないと結論づけた。

 「無理やりはがすこと自体が過失」と、捜査関係者は言う。

 県警によると、医師は手術後、院長に「医療過誤はなかった」などと説明したという。「うそをついているのか、もしくは、医学的知識が不足していたのか。どちらかだろう」と、捜査関係者の一人はみている。

 医学書における「原則として」の背後には、無数のバリエーションがあります。同じ病名でも病態は様々、個体差もあるわけで、教科書からだけでは学びきれないからこそ、指導医について、何年もかけて手術を学んでいくのです。「うそをついているのか、もしくは、医学的知識が不足していたのか。どちらかだろう」というのは、あまりにも医療を理解していない言葉だと思います。已むを得ない剥離、癒着胎盤という病気に関しては、今まで何度も書いてきたのでここで繰り返すのは避けますが、「胎盤用手剥離が難しい場合には、原則として単純子宮全摘術を行います」と単純に記載された内容の裏に、相当な例外があることだけもう一度書いておきます。

 片岡次席は「遺体やビデオ、心電図が残されておらず、関係者の供述が不可欠な状況で、身柄を確保した上で話を聴く必要があった」とし、また、「海外を含めて逃亡のおそれがあった」とも付け加えた。

 「医療ミス」を知ってから逮捕まで約1年を要したことについて、片岡次席は「専門的な捜査で県警と地検が内容を理解するのに時間が必要だった」とした。

 今回の逮捕のきっかけとなった手術から1年の間、事故報告書にはシステムの不備が多く指摘されたものの改善されないまま、一人医長の状態のままで献身的に勤務し続けた医師のどこに、「海外を含めて逃亡のおそれがあった」のか、僕には全く理解できません。

落雷を予見せよ

<落雷裁判>「予見可能」と高松高裁に差し戻し判決 最高裁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060313-00000036-mai-soci

 96年に高校サッカーの試合中、落雷を受け重度の障害を負った当時私立高校1年と家族が、学校や主催者側に約3億円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第2小法廷(中川了滋裁判長)は13日、請求を棄却した1、2審判決を破棄し、審理を高松高裁に差し戻した。
 判決は「落雷事故は予見可能だった」と述べた。高裁で事故が回避出来たかが審理されるが、北村さん側逆転勝訴の可能性が出てきた。
 落雷事故を予見可能とした最高裁判決は初めて。学校関係者や屋外でのイベント主催者に警鐘を鳴らす判決となった。

 ◇教師や学校側の責任重く…生徒の安全守る立場重視
 落雷事故を巡る13日の最高裁判決は、生徒の安全を守るべき立場にある教師や学校側の責任を重く見たものといえる。
 落雷を巡っては、ゴルフ場では危険と判断された場合、プレー中止の措置をとることが常識だ。しかし、裁判では00年、東京地裁が「雷鳴が識別できれば危険な状況」と認めながらも「予測は極めて困難」と遺族の請求を棄却していた。
 これに対し、最高裁が「事故は予見可能」とした背景には、仮に特定の生徒に落雷が直撃することを予見出来ない場合でも、生徒全員の安全を守るために教師は最善の注意を尽くすべきとの考えがあるとみられる。「自己責任」のゴルファーと異なり、生徒は教師に従わざるを得ないからだ。
 課外活動などでの学校側の責任について最高裁は90年、専門学校の山岳部の雪崩事故を巡る訴訟で「教育活動の一環である以上、教師は生じる恐れのある危険から生徒を保護すべき義務を負っている」と判断、教師側の過失を認めた。今回の判決はこの判例の立場を踏襲したものと言える。

 障害を受けた方が補償を求める気持ちはわかります。ただ、やはり、この自然災害を予知すべきであり、学校に責任ありという方向性はおかしい気がします。もちろん、「雷鳴が識別できれば危険な状況」という知識は広く知られていたかも知れませんが、実際に自分が落雷の被害にあう確率はどれくらいなのでしょうか。雷鳴をきけば、落雷の可能性は常にあるわけですので、この理論で管理者責任を問うならば、雷がなれば外出禁止ということになるのではないでしょうか。実際に、試合会場にいた人間のどれくらいが落雷の危険を予見していたのか、裁判所曰く、「子供向けの絵本にものっているくらいよく知られた知識」に基づいて、実際に試合に参加していた高校生らも含め、「雷が落ちるかも知れないから避難すべきだ」と考えていた人間はどれくらいいたのでしょうか。
 裁判所は、「子供向けの絵本にものっている」という根拠を持ち出したのだから、当然、高校生ともなれば、その知識を持ち、きちんと判断できる能力を有するはずです。その彼らが、危険を感じ、避難を求めているのに、学校側が試合を強行したというのであれば、管理の責任も問われるでしょうけれど、今回の件は行き過ぎた判断のように思えます。
 医療訴訟にも通じますが、「被害者の心情に配慮する」というところまでは理解できます。ただ、それを誰かの責任とするということに強い疑問を感じます。報道された情報から判断する限り、おおむね常識的な天候下で試合が行われており、そこに不幸にも落雷があったというようにしか思えません。被害にあった方は救われるべきですが、これは、管理者に過失があったから、という話ではないように思えます。
 医療事故にしても、こういった事故にしても、誰かの過失にしないと補償がなされないという部分に、とても大きな問題があると考えます。医療においては過失の有無に関わらず、障害の大きさによって補償される「無過失補償制度」の開始が急務だと思いますし、落雷のような避けがたい自然災害によって被害を受けた方に対する、誰かの責任の有無を問わない何らかの補償制度をつくるべきだと思います。そして、誰かを憎み、責任を追及し、長い裁判を闘わなくても補償が受けられるようにするべきだと思います。
 もちろん、責任を追及されるべき事例に関しては、法の場で真実を明らかにすることは大切だと思います。しかし、きちんとした補償制度の整備をするだけでも、悪意のない些細な過失が結果の重大性のみによって争われたり、そもそも過失とは考えにくい不可避のものまで責任を追及されるという歪んだ流れは改善されるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

PSE法、ビンテージもの除外

<PSEマーク>「ビンテージもの」規制対象から除外に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060314-00000053-mai-bus_all

 事実上の適用除外になるのは、ギターアンプなどの音響機器や、電子楽器、写真用機材、映写機などのうち「ビンテージもの」と呼ばれる希少価値の高い中古機材。これらを取り扱いに慣れたマニアに販売する場合には、PSEマークがなくても簡単な手続きで売買できるようにする。

 何をどういう基準で除外するのか分かりませんが、とにかくいいかげんな法律だと思います。僕のエデンのベースアンプはどうなるんでしょうか。

産婦人科医師逮捕・起訴に対する抗議声明

 すでに触れたものも含めて、ここにリンクをまとめておきます。

神奈川県産科婦人科医会(3/6)

http://www.kaog.jp/20060306top.htm