「アメリカ旅行記その3」-0298-

 今日は卒業式でした。一体何から卒業すると言うんでしょう。とりあえず、僕はまだ卒業じゃないので関係ないのです。謝恩会とかに潜入して升酒とか飲みました。で、今日の僕のアメリカの記憶。

 3/10(金)、カジノ内を彷徨っていた私は、ミニマム$5のブラックジャックのテーブルに同行者が座っているのを見つけて、背後から観察してみました。なんだかまわりが$5チップとかをちまちま賭けているのに、何を血迷ったか彼は、$25チップなんて賭けているのです。ギャー。日常生活で100円、200円の違いをぎゃーぎゃー言う奴の賭け方じゃありません。5人掛けの一番左という好位置をキープしていたので、彼が席を立ってしばらくした後、まだ空いていたその席に、今度は私が収まりました。右の席からゲームが進行するので、一番左は、絵札のカウンティングや、自分の手を考える時間がじっくりとれる席なのです。

 一番右にはノリノリの白人女性が座っており、いちいち私の手に突っ込みを入れたりしてました。ディーラーはディーラーで、「ほら、まだ12だよ、どうする?」とか言ってあおりやがるのです。私の右隣の男性は、あおられて大抵多めにカードを引き、結果バースト(21を超えてしまうこと)することが多く、そんなことも考慮に入れながら、気合いの12ステイ(もうカードを引かないこと)とかでなんとかちょい浮き状態をキープしました。調子に乗って、ホテルサンレモでは教えてくれなかった、ダブルダウン(掛け金を倍にして、カードをもう一枚だけ引く)やスプリット(カードを二組に分けて賭を続行)などのルールも駆使したものの、ブラックジャックテーブルで両替した$100は、一時期$30〜40くらいまで減ってしまい、気合いの$25賭けなどで$120ほどに回復を見せたところで、とりあえず引き上げることにしました。その間、確かスロットに$20を一枚投資した気がするので、カジノ初日は$120ほどの小勝ち。

 部屋に戻ってバスタブに浸かり、駆け足でバフェスタイルの朝食をとって、グランドキャニオンに向かうべく、朝7時過ぎにはロビーに着いたのですが、一向にシーニック航空の迎えがあらわれず、問い合わせたところ、予約が正常に入っていないとかで、一悶着あったあとで、どうやら昼のフライトに振り返られた模様なのでした。やむを得ず、一端部屋に落ち着くと、当然のように眠りに落ちました。1〜2時間でも、寝ないよりはましです。

 今度は無事送迎もあらわれ、小型機で離陸。グランドキャニオンの景色を、窓に顔をぴったりつけて眺め、しばしの感動を味わいました。サウスリムに着陸し、幼少を横須賀で過ごしたという、アクセントも含めて日本語の堪能なアメリカ人ガイドを伴ったバスで、ヤバパイなどのいくつかのポイントを回りました。ところで、事前にインターネットなどで情報収集をしたところによると、シーニックのグランドキャニオンツアーは、それなりに評判が良かったのですが、食事だけは評判が良くない、ということで、私と連れは、「要はいわゆるアメ食ってことだろ」と言っていたのですが、そのまんまでした。ここに至って、私は割とアメリカの食事に適応し始め、みんな同じ臭いと同じ味に思えてくるような食事は、特に苦痛じゃなくなってました。

 降り立つポイントごとに大はしゃぎして、乗りのいい、白人のおばちゃんに写真を撮ってもらったりして楽しんだ後、夜景を見ながらラスベガスへ舞い戻ったのですが、帰りの小型機の中では半分以上寝てました。本当にこの旅行中、気付けば空の上で、その移動中を睡眠にあてるのでした。

 ラスベガスに戻った後、各所で行われるショーなんかを観ようと思っていたのですが、このグランドキャニオン行きの思わぬ遅れで予定が狂ってしまいました。実は、シーニックも、そのショーを巡るバスも、航空券とホテルを手配した旅行会社を通しており、その旅行会社が、朝の時点で事務所も空いておらず、全く話にならなかったのに割と強く苦情を言ってしまったりしたのですが、そのせいで、その会社はスタッフを一人ホテルに待機させたとかで、その後無料で、ダウンタウン地区のショーを一ヶ所と、世界一高いフリーフォールのある展望台にだけは行くことができました。アメリカ滞在も秒読み段階に入り、寂しさと共に疲れもでてきたようです。

 ルクソールホテルに再び戻ると、ルクソール内のマックで「ビッグエクストラ」を購入し、部屋に戻ることにしました。例の如く、風呂に浸かったりしてそのまま中途半端に眠りに落ち、途中23時頃目が覚めたのですが、同行者も熟睡しており、再び眠りました。

 3/11(土)、もう一度カジノで遊ぶつもりだったので、結局夜中に起き出しました。同行者も、$25のカジノチップをそのまま持っているとか言っていたので、今起きないと遊べないかも知れないよ、と一応言い残して、一足先にカジノへ向かいました。資金は昨日勝った分で、その分で、大勝ちの可能性があるゲームを楽しむつもりでした。ブラックジャックももう一度やりたかったのですが、ルーレットのほうがすいていたので、そちらで両替。前日のように乗っかれるような強運の人もいなくて、多分負けの流れだったのですが、夢だけを追いかけて大金賭けの連続。$100のチップがやはり$20まで目減りし、ミドル12の気合いの全額ベットで、3倍の配当、$60まで回復などをみせたり、それなりに楽しみました。その他スロット、ビデオポーカー、キノなどを手当たり次第にプレイ。深夜ですいているキノラウンジで、傾向と対策を研究していると、特にプレイするわけでなく、隣に座っていた老婆が、突然、人生とキノとカジノについて、例の如く遠慮のない英語で語りはじめ、「キノは難しいわよね。結局チャンスゲームよ」と、言い残し、去っていくのでした。

 現金のドルを使い切るが如く、端数をそこらへんのマシンに放り込みながら、ビデオブラックジャックに興じている頃、腕時計は6:30を差しました。最後のアメリカの朝食はゆっくり摂ろうと、オープンと同時にバフェに行こうと言っていたのに、結局さらに10分もらって、カジノを名残惜しんだ後、朝食を摂り、空港へと向かいました。空港のスロットにも$5札をぶち込んで別れを告げ、まだみぬジャックポットに思いを馳せながらポートランド経由で日本に戻るのでした。

「きっと、大勝ちしたら俺、帰らないっていいだすよな。負けたら負けたで、意地になって動かない可能性もあるし。ギャンブル中毒者の気持ちも分かるよ。ベガスって、教会多いしね」
「どっちにしろ、殴ってでも連れ帰るよ。勝っていたにしろ、その時点で人間ダメになりそうだから」
「友達と思うならそうしてくれよ」
もはやエコノミーの気持ちだけリクライニングなシートでも、それなりに器用に眠る術を覚えた僕らは、例の如く移動時間を眠るのでした。

 3/12(日)、帰国。成田空港でポカリスエットを買いました。次の日には早速日本酒を飲みに行ったりしてましたよ。ちょっとは時差ボケとか旅行疲れとかいったほうが格好いいのでしょうか。時差ボケと言えば、旅行中まともな睡眠時間が極度に少なかったために、帰国後、妙に規則正しい生活が可能になりました。ただ単に、早起きができるようになっただけですけど。でも、昨日久々に打った麻雀なんかのせいで、また簡単に夜型に転向しそうなんですよ。