「聖人君子ではないので」-0550-

 時間の流れはホントに早くて。麻酔科医生活もすでに一ヶ月を経過しました。その間、教授インタビューとか、人事委員会とか医局会とかいった、僕の所属する医局の人事決定システムが動いていて、本決まりではないものの、なんとなく4月からの身の振り方も決まりました。たぶん新幹線の駅ひとつ分南へ向かったところで1年間外科医生活してきます。

 最近は、オンコールの無い休みに遠出してみて、普段なかなか会えない友人と語ったり、今週末の研究会のためのスライドつくったり、麻酔の本を読み返してみたり、そんな生活。僕はずっと、自分の自由になる時間の大切さを感じていて、それを希求していました。ICU(集中治療部)や麻酔科に所属している間、僕はその自由時間を期間限定で手に入れています。絶対的な自由時間が無いという感覚は、同じ立場の人以外にはなかなか理解してもらえないと思います。僕は仕事が忙しいのは構わないし、病気が昼夜を問わないのもそういうものだと思っています。真に必要なものに対しては、僕はプライベートな時間を削ることは惜しまないし、誠心誠意治療に当たります。これは綺麗事ではなくて、今までもそうしてきたつもりです。ただ、コンビニ感覚で好き勝手に受診する軽傷のワガママな患者や、救急車をタクシーがわりに使う人々などにまで、同じように笑顔で迅速対応が必要だとは思えないのです。実際、そういうことに僕らは精神と肉体をすり減らしています。

 交代勤務などを真剣に考えれば、余暇をつくれなくもないと思いますが、受け持ち患者を持つ限り、病院からそう遠い場所へはそうそう出掛けられないということも含めて考えると、僕の行動範囲の中心に病院があってくれればそれに越したことはないのです。医者という仕事は好きだけど、そのためにどこへでも行くというほど好きではないみたいです。かといって、プライベートのためだけに、どうでもいいような病院へ勤務するという気分にはなれないのです。

 たぶん、月に一度だけでも、自分が完全に自由にしていい時間があるならば、周囲に知人のない田舎の病院への勤務というのも耐えうるものだと思うのですが、24時間オンコールで、その病院に縛り付けられてしまえば、当然、自分の生活の全てをその病院の周囲に縛り付けることになるわけで、友人とか、恋人とか、家族と会うという、世の中の多くの人が容易に行っていることにまで相当の労力を使うということはとてつもないストレスになると思います。そもそも、僕らは「約束」ができないことにストレスを感じています。せっかく日時を約束しても、そこへ患者が飛び込んでくれば全てが反古になるという状態。それを理解してくれる人なら良いですが、なかなか、そこへ良好な人間関係を築くのは難しくなると思います。

 今度行くことになると思われる病院は、東京、大学、実家という僕の生活圏へのアクセスが非常に便利な場所にあって、また、手術症例もそれなりに多いところです。そこで、しばし、僕が今求めているようなものが本当に得られるのかどうかゆっくり考えてみることにします。