「第三次産業」-0571-

  医者はサービス業か、なんていう議論はだいぶ前からされつくした感があるけれど、それにしては皆が納得する結論というものは出ていない気がします。例えば腕はいいけど気難しい職人がいて、人当たりはすごく悪いんだけど、その人にどうしても頼みたいというようなケースは、誰もそんなに疑問に思わないのだけど、それがこと医者の話になるとしっくりこないのです。

 もちろん、よいものを求めてよい職人をさがすように、病気を確実に治すために腕のよい医者を探すのです。ただ、病気という状態は、本人が望んで手に入れるものではなく、それを治す必要はふってわいてくるもので、医療を求める側には「やむを得ず」という意識がつきまといます。当人にとってはひとつしかない体だから必死に最善の医療を求めるのです。かといって、医者がそれに対して手を抜くかというとそんなことはないと思うのです。

 少なくとも現代日本において、いくら大金をつまれようと、逆にお金を持っていなくても、目の前に患者がいれば、それに対して最善の医療をする義務が生まれます。しかし当然、手を抜かないにしても、医者にも技術の差はあるわけです。たくさんお金を払うと腕のよい医者が出てくるわけではなくて、教授でも研修医でも同じ診療点数をもとに技術を売ります。これは、資本主義社会において、とてもわかりにくい構造です。

 また、本来の人対人の関係であれば、少なくともどちらかがどちらかを求めないと関係が成立しません。物を買いたい人と売りたくない人。物を売りたい人と買いたくない人。それぞれどうにかして、相手に譲歩させようと頑張ります。物を売りたくない人と買いたくない人では関係が成立しえないのです。

 しかし、こと医療に関しては、医者にかかるのが乗り気でない人と、その患者を診るのが正直しんどい医者という関係が成立してしまうことがあります。このアブノーマルな関係が、他の職種と決定的に違う部分なのです。もちろん医者の技術や態度に問題がある場合も多いでしょうが、患者さんの側に問題があることも考えられます。患者さんの側とすれば、先に述べたように、「ふってわいた」病気のために「やむを得ず」病院に来ているのであって、「お金を払って」病院にかかるのだから、医者はそれ相応の対応をすべきだと考えます。

 医者は、応召義務で原則患者さんを断れませんし、病気に苦しんでいる人には真摯に対応しようとします。いくら丸一日働いたあとの当直でも、急患にはなんとか対応します。昼間混んでいるからと、わざわざ夜中に定期の薬をもらいにくるような人や、医者の説明や治療方針にはほとんど耳を貸さず、自分の思うがままの「治療」を求めてくるような人というのは、僕らにとって正直やっかいな方々です。僕らは、お金さえもらえば、患者さんの言うがままに薬を処方し、点滴をして、検査をするというわけではなくて、あくまで、医学的見地から必要なことをすすめるのです。人対人の関係ですから、サービス業的なセンスも必要でしょうけれど、僕らはあくまで専門職で、にこやかな笑顔よりは確かな診断を優先すべき職種です。

 夜中に好んでくるような患者さんには、真の急患が気後れしないで救急外来を受診しやすくするといった利点はありますが、それ以上のものではないと思っています。中には、誰かが病院にかかりたいと思ったら、その時が病院にかかるべき時なのだから、病院が時刻などを理由にいろいろ言うべきではないという主張もあるようです。社会があまりにもコンビニエンス化してしまい、いろいろなものが昼夜関係なく動いています。そういう意味では、病院も24時間フル回転しなくてはいけないのかも知れませんが、そのためには人的資源にしても地球資源にしても、全てが足りません。もちろん医師の交代制という手がないわけではないのでしょうが、今のままではとてもまわりません。やはり昼間起きて夜は眠るという原則のもとに、社会を考えなくてはキリがないし、かろうじて救急外来という窓口があるということが、現状では良しとすべきなのではないかと思います。

 さて、話は変わりますが、僕は患者さんの心付けとか、製薬会社の接待とか、そういうものが非常に苦手です。心付けをもらおうともらわなくとも、僕の医療は変わらないし、製薬会社に何をもらおうとも、僕が使うのは必要な薬だけです。もちろん、お金もお酒もおいしいご飯も大好きですけど、それは僕の給料の範囲内でどうにかなります。幾ばくかのお金やご馳走で、その人とか会社に対して、恩義みたいなものを感じさせられるのが嫌なのです。油田でももらえるなら別かも知れませんが、その幾ばくかの贈り物のために、仕事のやりにくさとか、勤務する病院によっては公務員倫理規定違反というようなリスクを負うはめになります。僕は駐車違反のリスクを負うくらいなら、多少高くてもあらかじめ駐車料金を払うような人間で、自分でいくらかの負担をしてでも、いろんな不安やリスクを取り除きたいと思うタイプなのです。その全く逆のことをされるのは、実は相当面倒くさいのです。しかしすれ違いざまとか、しつこく病室に呼びつけた上で、白衣のポケットにお金をねじ込んでくる人や、どこで調べたのか、アパートにお中元やお歳暮をおくってくる人までいて、そういう方々に対しては、いくら遠慮したい旨伝えても、かえって大騒ぎになってしまうのです。もちろん、気持ちは嬉しいです。だけど、本当に気持ちだけでじゅうぶんなのです。気持ちだけのときは嬉しくなれるのですが、そこに金銭が絡むと、少なくとも僕は心苦しくなります。

 僕は医療行為をする間は、あくまで中立でいたいのです。そういう意味では、心付けや接待以外にも、政治的に偏っていたり、宗教的に偏っているような病院は非常に気持ちが悪いのです。そういうことを言うとたくさん敵をつくりそうですけれど、どの病院の前で倒れている人でも、良き医療を受けられるということが、僕らの仕事の前提だと思うのです。