テーマ日記1〜医者の休日

 医者になって3年目に、集中治療部へローテートした時、僕は初めて、携帯電話の電源を切っていても一向に構わない、れっきとした「休み」をもらったのです。科によって多少の差はあるでしょうが、僕の場合は、常に受け持ち患者からは逃れられず、勤務時間というものは、病院が勝手にそれによって給料を計算するだけのものにすぎず、実際は、毎日フルタイム拘束されていたのです。

 本当は、もっとしっかり当番制とかいうものをはっきりさせて、交代勤務でもすればいいのでしょうけれど、現時点で圧倒的にマンパワーが足りません。否、マンパワーは本当は足りているのかも知れませんが、働かない医者と働く医者の格差がかなりあるのでしょう。また、アメリカなどで交代勤務が発達しているのと比較して、日本でそれがすすまないというのには、文化的背景というのも大きく絡むわけで、手術を受け持った医者が、その患者さんが急変した日にはお休みなのでいなくて、それで当番の医者が対応しますという状況を、感情として良しとしないというところが大きいのではないでしょうか。

 患者さんにとっては、主治医は自分だけの医者のように見えるかも知れませんし、いざというとき頼るというのは、信頼の証として、医者にとっても喜ばしいことですが、医者にとって、冷たい言い方をすれば、それはたくさんの患者の中のひとりにすぎず、一度受け持った患者さんの健康をその都度背負ってしまえば、それこそ毎日どこかでいつか関わった患者さんが急変するだろうし、その都度そこへ駆けつけなくてはならないとすれば、全く気を休めることはできません。正直、多くの医者は、自分の関わった患者を非常に大切に思うし、その急変には積極的に対応したいと考えています。患者側の希望と、医者の義務感、使命感によって、日本の夜間救急の体制がなんとかなっている部分があることは事実です。

 最初の話に戻りますが、正確に言えば、僕は研修医1年生の頃、夏休みを6日間頂いたので、そこだけはしっかり休ませて頂きました。その他、学会発表の機会があったので、3日間ほど病院を離れました。それ以外は1日たりとも休まず大学病院に詰めていたし、何かあればすぐに携帯電話がなるという生活でした。

 そのあまりにも人間的でない生活に、「医者やめてやる」と思う瞬間は1度や2度ではありませんでしたが、そのあまりの忙しさ故に、実際やめるための手続きやら後の身の振り方など、そういうことを考えるのが面倒になって、結局そのまま外科のハードワークに身をおいていたのです。

 2年目は、大学から山の方へ車で1時間ほどを有する、田舎の病院に勤務しました。その病院は総合病院でしたが、常勤医のほとんどは大学の近くに住んでおり、また、近隣に大きな病院がないことから、さらに北へ1時間くらいの地域まで、広い医療圏を抱える病院でした。それで、一番下っ端の医者として勤務する僕は、その医療圏でけが人や腹痛患者が出現すると、明文化されていないものの、事実上ファーストコールとして呼ばれる毎日でした。

 病院から徒歩5分くらいのところにあるアパートを病院が借り上げていて、そこへ代々、一番下っ端の外科医が住むことになっていました。自分が当直じゃない日でも、帰宅して救急車の音を何台かきいていると、その数台に一台くらいは外科疾患で、救急車の音が途絶えた直後に電話がなるというような状態でした。もう、本当に電話や救急車の音には敏感になり、耳鳴りがして幻聴がきこえるのです。シャワーを浴びていたり、トイレに入っていたりすると、電話の音がなったような気がしてドアを開けて確認する、というようなことを本当に何度も繰り返しました。

 実は、2年目の病院では、1年目に大学にいたときよりは、なぜ研修医がこなしているのかわからない、誰もやる人がいない雑用とか事務仕事の類は大幅に減ったので、平和な時は本当に平和だったのですけれど、いつ呼ばれるかわからないという恐怖で、なかなか病院のそばを離れられません。本来は、オンコール当番が決まっていてもよさそうなものですが、なんとなく、外科常勤4人の一番下っ端が常にファーストコールであり、もし手術をしなくてはならないような場合は、その次に若い医者、といっても、十何年も上の先生を呼ぶということになっていたのです。

 外科の当番でやっかいなところは、緊急手術のときに、一人ではできないことが多いということで、それによって、一人当直体制で、さらにもう一人の外科医を確保できないような病院では、緊急手術を行わず、どこかの病院へ送るというようなこともされています。そうすると、当然緊急手術をする病院は絞られます。そこに必ずしもたくさんの外科医が割かれているわけではありませんし、僕のいた病院の場合、病院から1時間圏内で急性虫垂炎が発生すれば、ほぼ間違いなく僕の病院へ運ばれ、そして僕が呼ばれるという構造でした。そして、手術すべきかどうか散々思い悩んだ上、上司を呼ぶと、1時間離れた場所から病院へ向かうという状況。

 1年目は、仕事から離れる余裕など全くなかったので、おかしいと思いながらも何がおかしいのかわからなかったのです。それが2年目になると、ちょっとあく時間はあるものの、病院から遠く離れるわけにはいかないという状況があります。友達との約束もできない、遠くで友人のライブや芝居に誘われてもみにいくことなどできない、それを冷静に考えたとき、言いようのない焦りがあったのです。冠婚葬祭や学会が、唯一大手を振って遠出できる機会で、その日にいろいろ別の用事をいれてこなし、合間にその地域の友人と会ったりするというのが精一杯でした。少なくとも、2年目にいた病院で、私的な理由で病院をあけることを言い出せる雰囲気は無かったのです。偉くなれば少しはそういう自由ができると思いつつも、僕にとって今の時間こそが大切であって、若いこの時期に、僕には仕事以外にも大切なことがたくさんあることに気付いたのです。

 ただ、外科を選ぶような人間の多くが、生活の全てを外科生活につぎ込んで、修行の日々を送ることを良しとしているような向きがあるのです。僕ももちろん、今まだまだ未熟な臨床技術をもっと磨きたいと思うし、受け持ちの患者さんのところへ何度でも足を運ぼうと思うのですが、それを生活の全てとすることはできません。僕は聖人君子ではありません。ある程度、自分の時間を得るという欲求は人間として自然なことだと思うし、自分がある程度幸せでなければ、誰かに優しくする余裕も生まれてきません。

 3年目に、大学の集中治療部に配属された時、月の半分は日勤・当直というハードスケジュールの上、すさまじい薄給だったのですが、原則当直明けの1日が休めるということに感動したのです。いままでは、仮に休みといっても、それはグレーゾーンで、電話の音におびえていなくてはならなかったのに、主治医が別にいて、集中治療室へ入室してきた患者に、交代で集中治療医がつくという交代勤務制は、勤務時間が終わればすべての義務から解放されるのです。自分が入室を受け持った患者さんが、自分以外の医者が当番のときに命を失うということが当然あるわけで、その感情はどうなんだ、といわれると複雑な部分もありますが、とにかく、僕は医者になってはじめての真っ白なアフターファイブや休日にいたく感動したのです。本来当直と当直の合間の休日などは、寝てしまって終わるのでしょうが、僕は今まで足を運べなかった遠い場所へ出かけて友人とあったりしたのです。

 4年目の今、大学から少し離れ、東京に近いある病院でまた外科に復帰しています。とても忙しい病院だし、緊急手術も多いですが、都会の病院で常勤医は多く、ある程度当直体制とオンコール体制がしっかりしているので、当番以外の日はある程度自由な身でいられます。入院中の患者さんについてのことや、長期受け持ちの患者さんの夜間休日の救急外来受診などの際は電話がなることもありますが、2年目にいた病院ほどの拘束感は無いし、幸い、上司がいろいろと理解のある方なので、ある程度私的な用事でも、快く時間をくれたりします。交通の便がよく、都心へも大学へも割とすぐ出られるということも幸いし、何かあれば、一定時間内には病院へ駆けつけられます。同じグレーゾーンの休みでも、田舎に拘束されるよりは自由度があがります。

 多くの医者が田舎を嫌う理由というのはそういうところにあるのかも知れません。僕はずっと田舎ものでしたし、田舎自体は嫌いではありませんが、その地域に縛り付けられるとなると、いろいろ考えることはあります。田舎住まいで田舎勤務でも、自由時間が保証されてさえいれば、今の日本、少し時間をかければ、目的の場所や人へたどり着けます。

 生活の中心が病院にあることは確かですが、僕は生活の全てを病院にはおけないのです。医療の仕事の特殊性を考えれば、ある程度自分の生活を犠牲にすることは覚悟しているし、自分の勤務時間外とか、当番でない日だとしても、やむを得ない状況で発生した急患には対応する準備はあります。ただ、夜間休日、自己都合だけで昼間の受診をしない人、なんでもかんでも病院にやって来る人、社会のコンビニ化が病院へも押し寄せ、コンビニ受診が蔓延しています。その一方で、医者は常に最良の結果だけ求められ、うまくいかなかったものはすぐに、医療ミスだと騒がれる。機械の修理じゃないのだから、同じ治療をしても、治るものもあれば治らないものもある、そういうことはみんな忘れてしまっているのです。

 医者が自己犠牲だけでなんとかしなくてはならない状況が続けば、当然優秀な人材は外へ流れます。研修医の生活については、社会問題化もしていろいろ騒がれるようになりましたが、そこで研修医の権利ばかり話題にのぼったものだから、そのへんのしわ寄せが、研修医を終えた若い医者にすべてやってきています。まわらない当直。まわらない手術。自分がより良い医療を受けるために、医者にも休みを。