テーマ日記2〜もしも生まれ変わったら

 かつて僕がポリクリ(臨床実習)で外科をまわっていたとき、ある外科医が、昼食時大きなため息をついて、「なんで俺は外科なんか選んだのかなあ」と呟いていたのです。すかさず一緒のポリクリ班だった同級生が、「もしやり直せるなら何科にしますか?」と尋ねると、その医師は「う〜ん、眼科、かな」と。

 別に眼科をどうこういうつもりはないのですけど。外科というのは最も忙しい科の一つであることは確かで、人の生死にも常に向き合う科であるし、急患やらなにやら、いろんなことに労力を要する科です。僕らの同級生の中で、外科を選んだのは10人に満たない数で、学内に4人、そのほかは学外に散っていったのですが、近況がたまにメーリングリストに投稿されます。そんな中「一週間のうち1日は外科医にならなければよかったと思いながら、でも他の6日は外科最高と思って頑張っています」というようなコメントが非常に印象的でした。

 それは多分どこへ行っても同じでしょうけれど、楽なことばかりではないのです。多かれ少なかれ、ある程度の覚悟を持って外科の門をたたきました。同級生や知人だいたいにおいて、想像よりも大変な生活を強いられたみたいですけれど、それに耐えうるのは、仕事内容が非常に魅力的だからなのだと思います。

 外科を選ぶ人の多くが、「本当はなんでも診たいのだけれど、全部を極めるのは無理そう。せめて、全身をくまなく診て、幅広い診療をこなせる場で働きたい」といった考えを持っているのではないかと考えます。「道で倒れている情報のない患者に対応できる科だから」選んだ、といっていた医者もいました。

 「週に1日は外科選択を後悔する」というような気持ちは、外科医の多くが心当たりのある感情だと思います。しかし、「でも残り6日は外科最高」で、最初に「眼科、かな」と言った医者は、それでもなお精力的に外科手術をこなし、ある疾患チームのチーフとして今日も頑張っているようです。僕は今、外科医でいることを喜びに感じているし、外科医として働く以上は、一流の技術を目指したいと思っています。

 しかしながら、生まれ変わったら外科医を選ぶだろうか、と問われると非常に答えにくいのです。僕にとって、人生はたった一回であり、絶対に終わりがくるものです。そうやって時間が限られているからこそ、死というゴールが約束されているからこそ、僕は頑張って生きられるのです。これが仮に、永遠の命とかいって、終わりが見えなければ、僕は同時に生きる意味を見失うかも知れません。

  幼い頃、というか実は今もなんですけど、死後の世界っていうのが本気で怖かったのです。なんていうか、「永遠」ってのがすごく怖いのです。輪廻転生も怖いし、永遠の命も怖い。小学生くらいの時に、人が死んで土に帰り、その一部は木となり、草となり、あるいは動物の一部になり、体を構成する成分が自然に還っていくのだ、という死生観に触れたことがあって、それが僕の一番望む形なんです。魂とかそういうのもあるかも知れないけど、無ければ無いで、それでいいのではないか、と。そういう形で自然に還ればそれで良くて、何かに生まれ変わりたい、という思いはそれほど強くないのです。そして、僕は約束された死という終わりがあるから頑張れるのであって、僕が僕として生きるたった一度の人生を、とても大切にしているのです。

 そういう考えをベースにしたとして、今の僕が全てであり、今外科医をしている僕というのは他の誰でもありません。「もう一度」っていうのは考えていません。仮に、今後また何かを選択するとしても、それは、外科医をしていたことがある僕の人生の続きであって、「やり直す」という発想ではありません。

 と、テーマを無視するような文章でした、ごめんなさい。ちなみに、僕が強く惹かれるのは芸術関係の仕事です。高校時代は演劇を、大学以降はずっと楽器を続けていますが、それを人生にする、ってのは何度か考えたことがあります。それ自体に苦しみも感じながら職業とするよりは、酒を飲みながら楽しくやれる趣味として、手術室を職場に選んだわけですけれど。

 あと自分の子を医者にしたいか、というようなこともよくきかれますが、基本的には子どもは別の個人であるはずで、親が何にしたいかということをあまり主張するのは好きではありません。もちろん、大きな枠の中での方向性を示してあげる必要はあると思いますが。