僕らは学生のとき、長いテスト期間で嫌になったりすると、「将来構想」について語りあうのでした。「将来仕事嫌になったら、少年マガジンの裏表紙あたりで怪しげな健康グッズでも売ろうかな、『医学博士ザウエル先生もその効果を認めた!』とか言って」
まあ、それはさておいて、医学博士っていうのは、必ずしも医師では無いのです。医学博士という学位単独では、医師国家試験受験資格も得られません。例外的な方法をのぞけば、日本で臨床医として働くためには、大学医学部医学科を卒業し、「学士(医学)」の資格を得た上で、医師国家試験に合格し、医籍登録を行わなければなりません。これで初めて、医師免許がもらえます。
学位とは、学校教育法によって定められている「学士」「修士」「博士」及び専門職学位のことをさしています。「専門士」「準学士」「名誉博士」など「称号」とは区別されています。ちなみに、学位表記は、かつて「医学士」のように行われていましたが、平成3年以降、「学士(医学)」というような表記に改められています。僕もかっこのついた学位記を授与されています。修士と博士は以前から学位でしたが、学士に関しては、明治20年から平成3年の法制定までは、「称号」として扱われていたようです。
さて、博士号というのは大学教育を終えた後、博士論文を受理されることにより手にすることのできる学位です。博士課程を修了したものをさす課程博士と博士課程修了によらない論文博士というものがあります。かつて、医者の世界では、大学院入学とか、研究室所属などの明確な期間を持たずに、臨床をやりながらその合間に論文を書いて、博士号をとるという人がほとんどでした。近年は、論文博士を縮小するようになってきており、今後、医学博士を取ろうと思えば、臨床を一度中断し、研究中心の生活をする期間が必要になります。
ちなみに、人文科学や法学、理学などの専攻分野において博士号は以前は大学の教員が生涯の研究の集大成として取得するものであり、大学の教員といえども博士の学位を持っていない人が多かったようです。もちろん、分野によっては今でもそうであり、文字通り学位の最高峰です。明治20年から31年の学位令改正まで「大博士」という学位があったようですが、現在は存在しません。それとは対照的に、医学においてはとらなくても困らないがとっていないと気持ちが悪い「足の裏の米粒」のようなものと言われ続けています。
例えば、アメリカでは、医学校への入学資格を得るのに、一般の大学を卒業している必要があり、医学教育自体が、すでに博士課程であって、その卒業は医学博士(MD)の称号を得ることとなります。それに対して、日本の場合は、高校を卒業し、大学を選ぶ時点で、「医学」を選べるので、卒業して、国家試験を受けて「医師」にはなれますが、博士論文は書いていないので、医学博士にはなれません。アメリカでは医師=医学博士であり、その呼称MDが、慣例的に日本では医師に対しても使われます。
さて、大学院の医学研究過程で学ぶ人は、必ずしも医師ではありません。理学や化学、生物学などを学んだ人々が、医学系の大学院で学び、論文が受理されれば「博士(医学)」の学位がもらえますが、学士(医学)の資格が無ければ、医師国家試験は受けられません。そういえば、最近大学医学部では、他大学を卒業して、社会人経験のある人を積極的に入学させようと、「学士入学」の制度をすすめていますが、医学博士を持った受験生がいて、ある大学医学部に合格したようです。医学博士だけど、医学部学生という不思議な状態が存在するのです。
さて、博士号が無いからと言って、現在、僕らの診療内容に制限はありません。医学博士が手術がうまいわけでは無いので、当たり前といえば当たり前なのですけれど。ただ、社会はそういう肩書きが大好きなようで、近年、ある程度大きな病院では、たとえば博士号が無いと部長職につけないとか、そういうことがあるようなのです。収入とかそういうことよりも、そういった「肩書き」のある立場に立てないことで、自分の思うような診療ができないこともありえます。部長が入らないと手術はできない、とか、そういう規定がある場合もあるのです。本当に実質何の意味もないようなことなのですが、近年の流れです。個人で医療をするのならば、そういったしがらみをすべて捨てられるのかも知れませんが、僕のように、外科手術に関わっていたいと思うような場合、外科というチームの中にいなくては手術がかなわないし、今は肩書きなんて何も必要ないけれど、いずれ指導的な立場になる段には、病院の中でもそれなりの立場にたたなてはならないでしょう。そうなると、つまらないかもしれないけれど、学位も必要なのかもしれません。
基礎医学の研究室にすすむような場合、大学卒業後にすぐ大学院にすすむというような、医学以外の分野と同様のコースをとることもできました。現在は、2年間の臨床研修が義務化されているので、そのあたりの様相も変わっているかも知れません。臨床系の大学院にすすむ場合の多くは、「医局」に所属して、関連病院で勤務しながら、頃合いをみて大学院に進むというのが一般的です。大学や大学院の講座がそれに相当する臨床科を持っていることがほとんどで、そこに所属しながら、所属している大学院にすすみ、場合によっては、その大学院に所属しながら、関連する研究施設に派遣されて研究します。所属外の大学院を受験するということはまずありません。所属外の大学院で研究している人もいますが、その多くは、所属する大学院から派遣されています。ややこしいのです。
僕は今、大学から離れた病院に勤務していますが、大学から派遣されている身です。とは言っても、僕の公式の所属は、あくまで今の病院だけで、大学に籍はないのですが、「医局員」であることは確かです。その医局から大学院入学をすすめられながら、今年はどうしても臨床がやりたくて、今の病院にやって来たのですが、どうやらいろいろ状況が変わったらしいのです。今年から臨床研修が義務化されたため、まるまる2年間、新しい医局員が入ってこないので、関連病院に派遣する医者が足らない状態。先ほど述べたような理由で、開業するとか以外の場合、いずれ学位が必要になりそうな流れで、論文博士が原則認められないとなると、大学院にいつかは進学しないといけないのも確か。教室の方針もあり、いままでは積極的に大学院入学をすすめてきたけれど、正直、臨床医が足りないので、全部が全部、この数年の間に大学院にすすまれると困るらしいのです。
だから、僕が大学院に行かないのであれば、足りない臨床医を補うのにちょうどよいのだけれど、行きどきを失って、大学院に行けなくなるとかいうこともあるかもしれません。あるいは、あと何年かしてから進学したとして、卒業してすぐは臨床医としてのリハビリが必要になるのだし、若いうちに学位とって、さっさと臨床に戻ったほうが、今臨床にしがみついて、年とってからリハビリ期間を迎えるよりも効率的かも知れません。そんなことを、今病院の上司や、医局の先輩たちが熱心に話してくださることもあり、また、今の病院で、たくさんの手術を執刀させてもらって、臨床修行もそれなりにつめていることを考えて、来年度の大学院進学を決めました。早ければ3年、正規過程で4年を経て、論文が書ければ医学博士というやつになります。もちろん、大学院入試があるのですけれど、これは大学入学とは比べものにならない広き門ですので。
ところで、この学位というやつは、各学会の「指導医」とか「専門医」なんていう称号とは全く別のものです。この専門医制度などは、国家資格でもなんでもなくて、あくまで各学会の認定なのですけれど、こういった称号も、今後いろんな場面で必要になっていくかも知れません。目下、少なくとも僕は「日本外科学会認定医」を取得するつもりであり、これではじめて外科医の入り口にたてるかなと思うのです。僕らの世代で、認定医は最後で、いずれ専門医に移行する必要が出てきます。医療界もいろいろと移行期なんですよ。
まあ、とれるものはとりますし、必要な勉強はします。ただ、本当に大切なのは、そんな肩書きではないと思うのにはかわりないので、本質を見失わないで行ければな、と思います。