医学系大学院について

http://d.hatena.ne.jp/hibigen/20090203/p1
 id:hibigenさんのエントリにならって、大学院の覚え書きを記しておきます。
 僕は臨床を4年経験した後に大学院に入りました。かつては現在のような義務化された研修制度はありませんでしたので、ずっと入局した外科の人事で回っています。大学院入学も人事の一部のようなもので、何度か書いたように僕は大学院入学はあまり希望していませんでした。「大学院入学以外の人事は無い」という当時の医局長の言葉によってしぶしぶ願書を出したというのが実際のところです。
 最初の2年は便宜的に研修医と呼ばれるかも知れませんが、1年目に大学で一番下っ端として働いた後、2年目は僻地の中核病院で一人で多発外傷を引き受けたりと、今のご時世を考えるとぞっとするような仕事をしていました。3年目はまた大学に戻され、半年はICU(集中治療室)で、3ヶ月は関連病院の麻酔科での研修を行いました。4年目に大きな町の中核病院に勤務し、そこでほぼ初めて、多くの外科手術の術者を経験させてもらいました。
 我々の大学院は、いわゆる昼間の大学院生と、どこかの病院の常勤医の身分を持ちながら在籍する夜間大学院生(社会人大学院生)という制度があります。また、同じ研究室に籍を置きながら、縁のある研究施設(他の大学なども含めて)で主に研究をする場合もあります。
 例えば、大学病院に医員の身分をもらいながら、社会人大学院生として在籍するならば、大学からの給料が支払われますが、昼間の大学院生が、「自主的な研修」という建前で臨床に参加(すなわち大学病院の業務に関わる)場合、一切の給与は支払われません。多くの大学病院では、こうした無給の労働者を当てにして動いているようなところがあります。「白い巨塔」には無給医員の姿が描かれていましたが、現在でも多くの無給労働者が大学病院の臨床を支えています。僕の場合は、昼間の大学院生として、他の研究期間へは出ずに自分の医局の研究室に残ることになりましたので、多分に漏れず、無償労働にも従事していました。
 前述のid:hibigenさんのエントリのブックマークコメントで、「臨床の仕事が減りませんでした(お給料が出なくなっただけ!)」ということが理解できていない方がいましたが、それはこういうことなのです。また、大学院生に限らず、他の病院で働きながら、「自主的に進んだ大学の医療に携わりたい」という建前で、給与をもらうどころか逆に登録料を支払うような「臨床研修登録医」というような制度もしっかりと残っています。
http://www.mie-u.ac.jp/blog/2009/01/post-139.html
 三重大学の学長が、国立大学(法人)医学部附属病院の赤字について、国が悪いということをブログに書き、それに賛同するようなブックマークコメントがたくさんよせられています。確かに、国が悪い部分もあるでしょうけれども、大学病院の偉い方々にもたくさんの責任があります。大学に計上される予算でもって喜んで「なんとかセンター」といった箱物をつくってはセンター長なんて据えてきたのには、国の政策ということだけでなく、確実に病院の偉い人々も関わっているわけで、そうした過去の真摯な反省や、現在進行形で行われている非人道的な無給労働を放置して、「病院の医師たちは、他の病院に比べてかなり安い給与で引き続きがんばることになると思います」なんて呑気に言われると少々腹が立ちますね。
 僕の大学でも、全く専門外の教授を据えたことや、各科が毎日配置している当直医が対応すればすむところを、「救急部」の症例数を増やしたいという思惑だけで、無理矢理「救急部」を稼働させてきたことになんの反省もないままに、当然予想された崩壊した救急部へ、あろうことか職員でもない大学院生を当てたり、目に余ることをしています。
 前述のように、我々の大学だけの問題ではなく、全国的な問題だとは思いますが、現状で、大学院生が大学病院で「労働」を行うことには対価は支払われていません。その点についても、いろいろ思うところはありますが、ある程度は納得した上で、外来や諸検査等の業務を手伝っているからこそ、大学病院が持ちこたえているところがあると思います。そして、医師の徒弟制度というかなんというか、少なくない医師達が、かつて大学院生として医局や大学を同じように無償の力で支えてきており、伝統的に現在も大学院生がその責を担うべきだという暗黙の「了解」が存在しているように思います。この「了解」については、実質は「圧力」であり「諦め」でした。また、本来は大学病院や医局という構造上の不備であるにもかかわらず、いつの間にか「患者さんが困るから」ということに問題がすり替えられ、医師としての良心のもとに無給のものを含めた「労働」に従事していたのです。
 救急部に大学院生を当てるというような話が出てきたのをきっかけに、こうした疑問を教授や教室にはっきりぶつける機会を得ました。もともと、他の医局員に比べ、物怖じせずにいろいろなことを意見するタイプではありましたが、このことに限らず、大学院在籍中は、実にいろいろなことをぶちまけたものでした。
 また、何度か書いているように、僕はあまり基礎研究と言うことには興味が持てませんでした。ほとんど逃げていた部分はあります。よく、臨床とは違う視点から物事をみるきっかけになるとか、研究を続けないにしても研究者としての視点を持てるようにはなると言いますが、その点はまあそうかも知れません。ただし、そのために全ての臨床医が何年もの時間を研究に費やさなくてもよいという思いは変わらずあります。頭の柔らかいうちに研究を、というのと同じ文脈で、僕は外科医としてやはり、頭の柔らかいうちに手術を、と思うのです。
 僕らは研修医の時に、それこそ一年目から一人当直の外勤に出かけていたものですが、現在では原則初期研修の二年間は、そういったことは薦められていません。法的にどうなのかはよく分かりませんけれども。入院患者を抱える病院は常に当直医を必要としています。ほぼ院長一人とか、ほんの数人の常勤医しかいない病院も珍しくありませんので、そうした病院へは主に大学医局からのバイトの派遣が行われてなんとか帳尻を合わせていました。研修医が当直要因として数えられなくなった分、うちの大学の場合はそれがそのまま大学院生に回ってきました。他の基礎研究者と異なり、医師免許を持つ大学院生というのは、こうして臨床のバイトに出ることによって収入は比較的安定します。安定するどころか、僕の場合は大学院入学前の収入を上回ったことさえありました。
 しかし、それは、大学院一年目には二日に一度ほど回ってくるという恐ろしいほどの当直という、心と体を蝕んだ結果としての対価です。大学で週に一度ほど手術の助手、週に一度の胃カメラ、たまに大腸カメラを手伝い、週に一度の専門外来、その他手術標本の整理などの無給の雑務をこなす合間に、そうした当直や、日中のバイトに出かけていましたので、正直、いつ実験すればいいんだという感覚でした。また、外の研究施設に出た場合は当てはまらないのですが、我々の教室には、みんなで代々取り組んでいる一連の流れに乗った大きなテーマというのが存在しないため、なんだかわからないまま、癌遺伝子とか癌関連タンパクとかの論文を検索して、似た実験を試みるという、非常にストレスのたまるものでした。しかも、我々は、学部時代に研究の手法などというものはほとんど学んでいませんし、現場に出てからの臨床の手法というのも、基礎研究とは直接関係ありません。ピペットマンの使い方もわからない人間が、なんとなく研究室に放置されるという状況です。
 あまりの当直サイクルと、何を頑張っていいのやらよくわからない「研究」という初めての環境に、相当に体調を崩し、未だに引きずる激しい睡眠障害をもたらしました。睡眠障害自体は、常に拘束され、四六時中電話の音に怯えるという積み重ねが影響していることは明らかなので、必ずしも大学院生活のせいというわけではないのでしょうけれども。ある意味の開き直り、研究からの全力で前向きな逃避と、はっきりしたデューティー以外からの徹底的な離脱、そして医局への意思表示ということができるまでは、抑鬱的気分が続いていました。特に外科を選ぶような人間は、こうしたコツコツとしたデータの解析とかいうことが苦手な場合も少なくないと思いますし、憧れた手術という方向からはあまりにもかけ離れた生活にはちょっとうんざりしていました。
 id:hibigenさんが市民オーケストラの門を叩いたことが非常に良い転機であったように、僕の場合も、大学院に入学してベッドフリーになり、バイトも減らしてもらった後で、医師になって初めてたくさんの自由時間を得たという、むしろ大学院の外に様々な転機を見出しました。
 どさくさに紛れて大型二輪の免許をとって、ドゥカティ、モンスターを購入したり、四年続けてフジロックに出かけて音楽の洪水に溺れたり、遠方の友人に会いに行ったり。あるいは、医局を離れることも視野に入れて、様々なライフプランを思い描き、実際に病院の人事の方と会ってみたり。
 気付けばもう、医師になって丸八年が経過しようとしています。その半分を大学院で過ごした計算になるのですが、外の研究施設に出ず、大学病院での無償労働に従事させられたということが、結果として臨床から遠ざからずにすみ、癌臨床の最前線に関わり続けていられたわけで、まんまと大学の思うつぼというか何というか。
 大学院一般の話じゃなくて、完全に僕の思いの羅列になってしまいましたが、医学博士という学位については、以前書いたことがありました。ちょっと不正確な部分もあるかも知れませんが、もし興味があったら下記のエントリをどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20041109#p4