平成十九年

 大晦日の本日、昨年に引き続き日当直に従事しています。まあ、大晦日働かなくてはいけないのは、医者に限った話じゃないんですけれどもね。それにしても、大晦日まで、あるいは元日から働かなくてはならない人の何と多いことか。病院なんかは動かさなければ仕方がないけれども、商業施設なんかはもっと休んだ方がいいんです。休むべきだと思います。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20070305#p1

 24時間という非人間的な時間に慣れた僕らは、その非人間的な日常に鈍感になってしまいました。そうして、異常が日常になってしまいます。僕らは24時間、我慢せずにいつでも何でも手に入れられるというような少しの利便性のために、夜を夜として過ごすことを奪われてしまいました。正常な思考と正常な生活を奪われた奴隷になってしまったのです。

 僕にとっての今年一年はどんな年だったのかと言えば、とにかく停滞していた年だったと思います。なんというか、三年前に大学院に入学した時点で、僕の時計はとまってしまったようです。肉体においては残酷に時は流れて行き、確実にまた一年分老いたことは確かですが、それ以外は、澱んだ流れの中に落ち込んでしまっていました。そういった状況の底には、大学が求めていることと僕の目指すべきものの乖離や、「大野病院事件」を一つのきっかけとしたハイリスク医療への恐れということなどがあります。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060303#p1
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20070218#p1
 嫌々ながらも大学院入学を選択したのは確かに自分自身ですし、医学研究というものの重要性もわかっているつもりです。研究のことを全く知らないで臨床をするということはできません。ただ、必ずしも、研究に携わる必要があるかと言えば、そうではないとも思います。正直、自分がそれを行わなくても良いなと思っているのです。しかし、自分がやらなくてもいいなというだけで、世の最先端から目を背けて良いということではありません。もちろん、真に優秀な人には、目の前の患者さん一人ではなくて、結果として何万人もの治療に関わることのできるような研究をして欲しいと思うし、そういう人は心から尊敬します。
 他人の行った研究や臨床データの解析結果などを知らないと、最新の医療にはついていけません。市井の医療というのは別に最新の医療を放棄することではないので、僕自身が研究をしないにしても、そういう知識を追いかけることは、臨床に携わる限りはやめません。胃潰瘍の薬の出し方だって、高血圧の最初の投薬だって、やはりそれなりにエビデンスとかそういうことがあって、最新のデータを覆すほどの「経験」は僕には無いと思っているので、じゅうぶん参考にして治療にあたっているのです。
 実学たる医学・医療においては、それを学問ということに留めず、行使するということが重要です。医療というものは、単に医学という学問を追求していくだけで身につくものではありません。特に、外科的手技などは、習得に相当な時間がかかります。そうした手技の習得だけに時間を費やし、現時点での最高の医療を提供しようという立場の人間は必要です。学問も手技も究めるというのは理想ではありますが、医師として成長する為の時間が限られている以上、どちらかを選ぶという人がいてもよいはずなのです。しかし、大学医局というところは、「研究をしない」という選択はさせてくれないところであり、彼らが「誰でもできる」と言うような日常診療を軽視するようなところがあります。
 僕はそもそも、ジェネラリストになりたくて、一番幅広い診療に関われるのではないかと思って外科を選びました。外科手術だけがしたいわけでもなくて、目の前の患者さんに関わる為に、どれだけの手駒を持っていられるかということに最も興味を持っていたのです。
 日本の大学で偉くなっていくということは、おおむね、研究で有名になっていくということに等しいようです。正直、一口に日本の大学といっても、特に地方の大学病院などは、どう考えても研究ということよりはまず、地域の医療の拠点となるという使命があるように思うのです。それを忘れてしまうことで、様々な齟齬を生むのです。
 新臨床研修が始まる以前、医学部を卒業した者のほとんどは、大学の医局に属して研修を受けました。中には研究などを見据えて医局を選んだ人もいるでしょうけれども、僕を含め少なくない人々が、医者として働く為のほぼ唯一の手段として医局に属したことと思われます。ある地域において、住民や新人医師たちが、ほとんど臨床ということだけを大学病院に期待しているというのは大いに考えられることで、おそらくほとんどの地方大学病院はそうなのだと思います。教育・研究という使命を負った「大学」として、逆に臨床だけに偏ることへの問題というのももちろんあると思います。しかし、現実として、どうにも臨床という部分は軽視され続けているのです。その軽視は、大学病院で働く医師のあまりにも悪い待遇にも現れていると思います。
 研究で一万人救える人を尊敬するというのは先ほど述べた如くですが、しかし僕はまた、市井の臨床家もまた同様に尊敬しています。しかし、哀しいかな、研究で一万人救えるという立場だけが正しいと思い、それ以外の立場を許容できない人は、自分が正しいと思うもの以外を目指す人間の存在というのに気付けないのです。「どうせ教授にはなれないから」と出世をあきらめているわけではなく、全く別の目標を持っているということへの想像力に欠けているのだと思います。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20070329#p1

 一見同じような立場に身をおいていたとしても、そもそもの目指すところが違うんだから、その過程や思考は違って当然だと思うのだけれど、自分の選択が絶対だと思っている人々って、どうしてああ「想像力」が無いんだろうか。

 医学博士だとか、大学でのポジションだとかいうのは、僕にとってはほとんど重要ではありません。ただ、今までのシステム上、大学の医局に属して関連病院を回り、手術を勉強させてもらうということが効率がよかったというだけの話なのです。
 さて、そうして市井のジェネラリストになりたかったはずの僕なのに、昨今の医療バッシングや、医療従事者からみれば信じられないようなケースへの警察の介入などで、防衛医療・萎縮医療に気持ちが大きく傾いているという自己矛盾があります。繰り返し主張しているように、応召義務で縛り付けながら、結果責任刑事罰で問うような体制は間違っています。悪意ではない医療を刑法で裁かないようなシステムや、「良きサマリア人法」の制定などが希求されます。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20070525#p1
 また、最初の頃はとにかく勉強だと思って、文字通り休み無く寝る暇も無く働いていたのが、ここ数年は、自分の時間の大切さについて改めて考え始めています。こうした心境の変化も、今後僕が目指す方向について大きな影響を及ぼしています。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20070307#p1

 当初、寝る間もないような激務を覚悟して飛び込んだのは事実で、あくまでも自分の選択であるという思いと、社会に対する義務感から、最初の1、2年は時折疑問を感じながらも突っ走って来られた部分はありますが、自分より何年も先輩の医者たちが、いつになっても当直やコールの嵐から抜け出せない状況を見つめていると、その出口の無さに恐怖を覚えてしまう部分もあるのです。

 外科医として何者かになるまでには、まだまだ修行が必要です。しかし、そろそろ家でも購入して、一ヶ所に落ち着いて生活の拠点を築き、余暇も大切にしながら過ごしたいと思うことは医者として異常なのでしょうか。許されないことなのでしょうか。

 そしてそういう不安の象徴のように、僕は今日も当直勤務なのですが、年明けは珍しく休めます。これが明るい予兆あり、来年が素晴らしい年でありますように!
 今年いろいろとお世話になりました皆様に、この場を借りまして御礼申し上げます。来年もよろしくお願い致します。皆様にとって、素晴らしい年でありますよう!
 …当直明けたら、久々に帰省してみようかと思っています。