産婦人科医 派遣中止へ

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 県立医大の産科婦人科学講座は、産婦人科医を派遣している県立病院4院のうち3病院に対し、派遣を取りやめる方針を決め、2日までに県病院局に申し出た。先月18日に医師が逮捕された県立大野病院では今月11日から、産婦人科医の派遣をとりやめる。事故の背景に産婦人科医の不足が指摘されており、逮捕が直接の引き金になったものと見られる。

 医局が動いた? 当然の流れだと思います。本質的には、産婦人科医を増やし、労働条件を改善し、不当逮捕など起こりえないように法整備をした上で、産科医療僻地ができないようになればいいのですけれど。マンパワー不足を奉仕の精神で補っていたのに、「逮捕」という仇で返されれば、こうなるのは明かだったはずです。
 そして、いまでも非医療人は、産科医に限らず、多くの医者がこうやって極限状態で働いていることをミスの言い訳にしていると勘違いしているようですが、そういうことではないのです。もちろん、関連して勤務状況の改善も訴えてはいますが、「疲れていたから間違っても許してね」とは言っていません。
 僕らの多くは、極限状態であろうと、その環境下で正しい医療を行っていて、その場で明らかに間違った医療行為をしてしまえば、なんらかの処分は致し方ないと思っているのです。ただ、今回のケースはミスではなく、合併症による不幸な転帰だと考えます。「死という結果には必ずミスがある」という考え方がおかしいと思っているのです。「完全な医療を行えば、どんなケースでも助けられる」わけではないという大前提をよく考えて頂きたいのです。
 ちなみに、各所のサイトや掲示板では、非常にこの問題をよく理解している非医療人がいる一方で、確認のしようはありませんが、医師を名乗る方がどうにも耐え難き発言をしていたりと様々です。結局は、個々の理解度や考え方の違いであると思いますので、何度も「社会」「一般人」のように、集団をひとくくりにした表現をしてきたのは、あまり適切ではないかも知れません。
 ただ、これは、曖昧かも知れませんが、僕の感じたままなのです。本当は、医療も社会の仕組みのうちのひとつであって、いろんな歪みがきているのに、それを包み込む存在であるはずの「社会」が、個人を、時にいわれのない攻撃をしているという印象を受けているのです。
 また、司法関係者を名乗る人々が、重要なのは起訴されるか否か、あるいは裁判で明らかになる真実であって、逮捕の時点で騒がなくてもよいという発言をしていたりします。百歩譲って、今回の件も、民事訴訟や、賠償の件で争うというのであれば、まあある程度は納得できるのですが、「逮捕」というのはやはり釈然としません。仮に公判の結果で無罪を勝ち取ったとしても、そのダメージは相当なものであるのは、法律側の方のほうが詳しいかと存じます。法の適応についての思いは今まで書いてきた通りです。
 もちろん、今まで声をあげられなかった、マスコミのいう「弱者」である患者さんたちが、声をあげる手段を持つというのは、もちろん重要なことだと思います。それが妥当な範囲内であれば、民事訴訟という方法で声をあげられるというのは良い点もあると思います。細かい点では、民事訴訟にもいろいろ不満がありますけれど。少なくとも、この件ではすでに遺族へ謝罪し、死因を調査し、賠償の相談をするということをしていたのに、「逮捕」「刑事罰」というものを適応することが、どうかみ砕いても納得いきません。