県立病院医師逮捕/応援の提案応ぜず

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 県警によると、女性の胎盤をはがし、大量出血が起きた後、手術室に入った作山院長が、容疑者に、ほかの医師に応援を頼むことを提案したという。だが、容疑者が提案に応じず、1人で手術を続けたという。これについて、複数の捜査関係者は「(容疑者が)自分の技術を過信していたことが、医療過誤に影響したのではないか」などと話している。

 一方的な報道なのでなんとも言えないが、今まで報道されてきたことも含めて「応援を呼ぶべき」とか「輸血を待つべき」とは言っても、そんな悠長なことを言っていられなかったのは事故報告書をみても明らかなことです。「技術を過信」という単なる憶測を、一方的に報道することは恣意的なものを感じます。技術を過信もなにも、持てる技術を使って一刻も早く処置を行うしかなかったと考えます。院長が応援を提案し、拒否というけれど、目の前で出血する患者に懸命に処置を続ける産婦人科医に、外科系の医師である自らが、とりあえずすみやかに応援に入るわけでもなく、到着に何時間もかかる応援医師を養成することを提案するのになんの意味があったのでしょうか。

 女性は、子宮に胎盤が癒着する「癒着胎盤」の状態だった。癒着胎盤をはがす際には大量出血するおそれがあるが、容疑者は手術前、女性が癒着胎盤かどうかを、強く疑ってはいなかったという。

 県によると、容疑者は、大野病院ではただ1人の産婦人科医だったが、癒着胎盤の手術経験はなかったという。容疑者は弁護士に「あんなに血が出るとは思わなかった」などと説明しているという。

 いままでの専門的見地からの意見を全く無視するように、またイメージ操作としか思えない歪んだ報道が続いています。癒着胎盤の術前診断はほぼ不可能というのがおおむね産婦人科医の一致した意見であり、「癒着胎盤かどうかを、強く疑ってはいなかった」のはあたりまえです。出血量が予測不可能だったことも分かっています。産婦人科医の発言の一部だけをこうやってとりあげるのは許しがたいことです。
 存在する病気を診断できなかったことが、罪だと思いこんでいるのではないでしょうか。医者なんだから、例え典型的な症状や訴えがなかったとしても、患者の持つすべての病気を診断するのは当たり前だと。それを診断できないのは罪だと。それは神の領域です。専門的知識に照らし合わせて「あれをあの時点で診断できないのは、已むを得ない」と言ってみたところで、「医者がミスを隠蔽し、レベルの低いことを開き直り、身内でかばい合っている」と言われてしまうのです。そういう非現実的な訴えが、結局患者のたらいまわしや防衛医療に繋がっているということになぜ気付かないのでしょうか。単に医者をスケープゴートにすればいいと思っているとしか考えられません。
 福島県や、大野病院のスタンスも許せません。県や病院は本来当事者であるはずなのに、まるで関係のないようなそぶりで、「産婦人科医には適切なアドバイスを行ったのに、突っ走った」というようなイメージに誘導している印象を受けます。無論、これも県や病院の本意は違うところにあって、単に警察・検察や報道がイメージ操作をしているだけかも知れませんので、大野病院の院長や、今回の逮捕のきっかけになったともいわれる「事故調査委員会」メンバーを過剰に糾弾するような行動は慎んでおきます。
 「県・病院は謝罪した」と言います。しかし、「ミスに対して」という意味では、産婦人科医の行為は決して謝罪に値するものとは思いません。臨終の際に「力及びませんで」などと言うことがありますが、これは残念な結果に対する哀悼の意と、もしかしたらもっと妥当な医療があったかも知れないということに対する謝罪であって、「私のミスですごめんなさい」というようなものではないと思います。
 補償を考えたのは、ミスを認めたからというよりは、残念な結果になってしまったことに対する、お見舞いであると思います。県や病院が認めたミスは、事故報告書の中でも、産婦人科医個人の技量というよりは、一人医長を強いた政策や、僻地ですぐに血液を確保できない状況であり、これは医師個人の問題ではありません。そういう意味では、県や病院が謝罪するのは当然です。産婦人科医のミスではなく、政策や体制の責任の不備に対しての謝罪としてですけれど。この一連の「ミス」ということで逮捕者を出すならば、産婦人科医個人よりもむしろ、県や病院のトップだろうという論調があるのは、こうした思いからだと考えます。
 僕のスタンスを再度明らかにしておきます。今回の不当逮捕に対して、本気で医師が怒り、支援する動きが出ていることに対して、理論展開を全く無視し、感情論だけで「人を殺した犯罪者をみんなで擁護するなんて、日本の医者は本当に酷い」という一般人は、そもそも基本的な理解力に欠けると思います。そういう方たちに、インフォームド・コンセント(じゅうぶんな説明の上で納得して診療を受けてもらうこと)をとることは困難と言わざるを得ません。リスクの説明は無視し、あくまで自分の都合のよいことだけしかきいてくれず、良くなること以外は全てミスと考えるような患者さんに対して、僕は医療行為を行う勇気がありません。お断りするしかありません。
 今回の件が起訴されるということになれば、僕の司直への不信は揺るぎないものになります。法治国家とはなんなのでしょうか。決して冗談ではないレベルで、医師をやめることも考えています。医者を目指して頑張っていたころは、社会がここまでおかしなことになるとは思っていなかったのですけれど。