ネット日記が晒されることについて

 特定のどの事件ということではないのですが。
 犯罪を起こしたり、あるいはそれに巻き込まれてしまったりした時に、その人の書いていたウェブ日記とかブログとかいったテキストがマスコミによって公開されることがよくありますよね。これが、明らかに実名で公開されていたものであれば、構わないと思います。しかし、匿名で書いていたようなものまで、勝手に個人を特定してしまって公開するというのを、みなさんどうとらえているのでしょうか。
 あるいは、少し状況がかわりますが、ウェブ日記やブログのように、公開を前提としているものではなく、あくまで自分の中で完結すべき、アナログな日記が勝手に公開されてしまうというのはいかがなものなのでしょうか。
 例えば、ここはあくまで「ザウエル」が書いているものであって、実名は明らかにしていません。本気で調べれば特定は可能だと思いますが、あくまでここは現実とは切り離した場所です。ですから、ここでザウエルとして何かを綴っている、現実社会の僕に何かがおきたとしても、誰かに勝手にこの場所を現実社会と関連付けられるのは心外だなあと思うのです。いや、別にこれから何か悪いことをするつもりはさらさらないのですが、何かおきたときに、「件の医師は、インターネット上の日記風ホームページで、事件を臭わせるような発現を繰り返しており」とか後から変な意味付けされて報道なんかされたら納得できないと思うんですよね。
 どうなのかなあ、僕だけですか。明かな犯罪で、そのテキストが犯罪に密接に絡むってことなら已むを得ないんでしょうか。でも、分かる人には分かるとしても、あくまで匿名であることによって成り立っていたサイトに、第三者が実名を結びつけてしまうことによって、かえってその内容が攻撃的な意味を持つことってありますよね。抽象的すぎて何言ってるんだか自分でもよくわかりませんが。
 あくまで自分が匿名であることによって、周囲も匿名化するという要素があると思います。僕がこの場で匿名であるという理由については、だいぶ前から繰り返し言ってきました。

 ザウエルという人物がどこの誰だか分かる人もいるでしょうが、敢えて匿名でサイトを運営しているという意味を考えて欲しいのです。
 職務上知り得た秘密というわけでないにしろ、日常生活を描く上で、あるモデルが語られます。僕が本名で文を綴ったとき、そのモデルもまた、特定され得るかも知れません。僕は匿名で、さらに、主語と目的語が曖昧になるような微妙な文体を工夫して綴っているつもりで、些細なことに関しても、モデルがなるべく特定されない書き方を目指しています。
 なんというか、僕がザウエルという別の名前を名乗って、病院とも学校とも関係のないところで勝手なことを言っているという、そういうことが重要だと思っています。
 実生活で、このサイトからしか知り得ない情報を、第三者に語るような行為はやめていただけたら有り難いです。すでに公共の場に晒しているのだから、勝手なお願いかも知れませんが、実生活上の知り合いが、実生活を抱えたまま乗り込んでくることは、このサイトの運営を脅かすかも知れません。

 実名で活動すべき場では、実名で言うべきことも言ってますが、匿名が持つ意味ってのも大きいと思うんですよ。もっとも、ザウエルというのが実は高校時代のニックネームだったり、本を出したりしたことによって、実は匿名性は薄いんです。だけど、「別の名前を名乗って、病院とも学校とも関係のないところで勝手なことを言っているという、そういうことが重要」ってことなんですよ。