圧力

 現在、僕は無給、というか逆に大学院の授業料を納めながら、大学の専門外来に出ており、主にある特定臓器の癌患者に関わっています。
 さて、なんだかよくわかんない政治家とかの圧力で、他の人も待っている、入院予定リストに割り込んで、ゴリ押しで入ってくる人ってのがいるかといえば、いるんですよね、実際。
 僕は誰でも平等に診ているつもりだし、本当に超緊急状態であれば、様々な策を弄してどこかにベッドを確保するし、自前で無理なら別の場所を探します。そうではない人には、体調や通院の距離などを考えながら、なるべくすみやかな治療に移行できるような検査予定を組んでいきます。
 そういうバランスの中で、ベッドの状況や病気の進行についてなど、丁寧に説明した上で、本当なら入院してから検査をすすめた方が楽なことは重々承知した上で、多少の負担をお願いするのです。
 そこへ来て、なんとか議員の関係者だとか、後援会の有力者だとかいう身内とか知人が動いて、陳情書を出すといった行為に出ることがあります。「親戚の誰々がなんとか癌という診断を受けて、何日の入院予定と言われたが、一刻も早く入院させてもらいたい」とかいうものですが、これが権力に弱い人々の間には、非常に効果的に働くようです。
 大抵、即日、あるいは翌日中には、有力者の事務所から学長なり病院長なりに陳情の内容が伝えられ、すみやかに教授へ伝達。ここで「他にも入院を待っているかたはたくさんおります。この方を優先的に入院させるということは、他の誰かを犠牲にするということです。あくまで、専門的判断の上での入院予定ですから、それまでお待ちください」とか突っぱねる気概のある上司を、いまだ僕は知りません。
 かくして、ゴリ押しの早期入院は完遂されます。そうして、身内の病気のために、自分の持てるコネをつかうことを選んだ者は「こんなにも病気を心配している。身内を思っている」というアピールと同時に、親族に対して「私にはこんな力がある」というアピールができます。また、議員などの有力者は「市井の声に耳を傾け、すぐに実行した」ということになります。実際にやっていることは、地域への貢献でもなんでもなく、たまたま力を持っていたか、力に頼れるところにいた人間が、他の誰かを押しのけて無理につかんだ特典ということになるのですが。
 そしておそらく、こうして実際に圧力が通じてしまうということが、かえって様々な医療不信を呼ぶのだと思います。いくら僕らが皆平等に診ていると言ったところで、実際に診療に関わらないようなレベルの偉い人々の間で、水を差すようなやりとりが行われてしまうのだから台無しです。かくして、医者には謝礼を払わないとまともに診てもらえないといったような誤解までも広まってしまうのです。
 このような圧力には、実際の患者さんの意向とはあまり関係のないところで行われることも多いのです。話を又聞きしたような遠縁が、突然しゃしゃり出てくるようなことも珍しくありません。患者さんもその近い家族も、入院待ちについてきちんと納得してくれているのに、「こんな重病なのに、すぐ入院させないとは何事だ」と怒鳴り込むというようなパターンです。これは、患者さんの病態が悪化したり、最悪亡くなってしまったようなときに、いつも付き添っている家族はよくわかってくれているのに、突然あらわれた遠縁が、「医療ミスじゃないのか」とかいって騒ぎ出す構図にも似たところがあります。
 で、トラブルを避けるために、こうやって圧力をかけてきたり、怒鳴り込んできたりした人に対して、実際に便宜をはかってしまったり、悪くもないのに勝手に謝ってしまうというのは、大抵お偉い方々か事務サイドです。変な接遇マニュアルなんかもはびこっていますし。でも、こうしてそういう圧力に屈することは、後々さらなるトラブルを生むとしか思えません。向こうにしてみれば、力を使ったことで、自らの望む医療を受けられたのであり、力を使わなければ適当に扱われたまま終わった、という理解をすることになります。皆平等に突っぱねるべきことは突っぱねなければ、いくら「医療の平等」を説いたところで、全く説得力がないのです。
 しかし、この圧力が、とりあえずの早期入院とかいうことにこぎつけたところで、最終的にプラスになるかと言えば疑問です。無理に入院してきたところで、検査予定や手術予定までも大幅に動かせるわけもなく、当初の予定通りに淡々と進めていくしかありません。
 また、実際に臨床を回しているのは、間違いなく僕らのような若い世代なのです。教授が看護師のコールに対応することはありません。患者さんとしてみれば、教授に目をかけられている、教授に直接陳情が行っているということが、プラスに働かないわけがないと思うのでしょう。しかし、実際の担当医にしてみれば、そういった「特別扱いを受けている」と思いこんでいるような相手に対しては、あまり良い印象を抱けません。平等に診ているつもりだし、それを誇りにしているところに、わけのわからない特別待遇要請なのです。レストランのVIPなら、サービスで上等のワインが出されるかも知れませんが、僕らは点滴のサービスでもしろってことなのでしょうか。
 いずれにせよ、治療方針はすべてカンファレンスで決定されます。大学において、教授の預かり知れぬところで勝手に治療が行われることはまずありません。そうして普通に扱われている患者の方が、おそらくスムーズに診療がすすみます。患者さんにしてみれば、教授といえば、その科において一番治療の上手い人という発想なのでしょうけれど、そういうことはかえって稀かもしれません。ですから、必要以上に教授が介入し、普段入らないような領域の手術にまでも手を出してみたりというのは、あまり治療の助けになるとは思いませんし、なにより担当医たちにとっては余計なストレスです。そういうしがらみがなければ、気軽に患者さんのところに足を運び、雑談なども交えながら診察するところを、よくわからない「VIP」というレッテルが貼られてしまうと、かえって萎縮してしまい、必要最低限以外は近寄りたくない、というのが正直なところなのではないでしょうか。
 圧力をかけることで欲求を満たした人は、そうすることによって、よい医療を受けられるのだと思っているのかも知れません。マンガやドラマなどでは、やたらと権力に媚びを売る悪徳医師が描かれます。しかし、我々の職業で、それになんの意味があるのかよくわかりません。少なくとも僕は、非常に専門的な領域に、わけのわからない圧力が介入することには、憤慨し、むしろマイナスの感情を持ってしまいます。感情としては、不当な圧力を行使した人には身を引いてしまいます。実際の診療内容に差をつけるつもりはありませんが、感情の部分では、そういった圧力のある患者はの優先順位は、明らかに一段低いところにおいてしまいます。圧力で特権が与えられると思ったら大間違いです。無論、謝礼などで特典が与えられると思うのも間違いです。なるべく、ニュートラルなのがいいんですよ、僕は。
 こういう圧力を目にすると、社会にオープンにしてどうにかならないかと本気で考えるのですが、どこの政党もこういうことをやっているし、マスコミ各社は、この問題の本質を歪めて美談にすることはあっても、決して不当な圧力としては報じないような気がしますがいかがでしょうか。
(追記)
 無論、医療の本質以外の部分でのVIP待遇というのは実際に存在するし、それはそれでまあ仕方ないと思います。別にそれに対しての特別な思いはありません。高い差額ベッド代を払って、別病棟の豪華な部屋で入院生活を送るということを別に否定しません。でも、それはまず第一に、そういった特別待遇の用意が病院になくてはならないわけですが、公立病院には原則そういったものは存在しません。基本的には、私立病院が設定し、サービスを金で買うという非常にわかりやすいシステムになっています。
 ただ、日本の医療制度においては、医療行為の実質的な部分は、基本的に貧富に関わらず平等に与えられていると思います。下手にVIP扱いしようとすると、逆効果ということもあるのは、先述の通りです。
 今回の僕のエントリは、あくまでそういうサービスを設定されていないところへの強引な割り込みというのが主題だったのですが、後半は少し話がずれてきて、特別待遇云々ということになってしまいました。このあたりは、「ある脳神経外科医の毎日」の「VIP考」というエントリが参考になるかと思います。一部引用しておきます。
http://decoppati.exblog.jp/1368842/

私立の病院ではこういう人のために
ものすごい差額ベッドというのがフンダンに用意されている。
一泊の部屋代だけで個室の差額4万円以上は当たり前で
一番すごいのでは一泊15万円にもなるのである。
それだけのサービスをお金で買うという点、はっきりしている。
立場がVIPであってもお金が払いきれなければ普通の扱いである。

VIPにまつわる昔の話で、笑うに笑えないこともあった。
VIPには検査も教授、麻酔科も教授、手術も教授がつくものだし、
実際患者さん側はそれをありがたがっていた。
ただ教授というのは大体50歳すぎで、
もちろん気力、知識は十分だが、
実際手を動かす能力というのは盛りを過ぎていることがあったり、
あまり手術などをしなくなっている人もいて、
(もちろん老いてますますという鉄人も多いが)
往々にして、教授でない講師や助教授のほうが
その手術や検査がものすごくうまいときもある。
VIPでない普通の患者さんのほうが、
そういう今が盛りのうまい医師の治療を受けることができて、
VIPがそうでもない医師の治療をうける逆転現象が起きることがあって、
なんだかなあ、という感じであった。

私立の病院ではお金に見合ってサービスが買えるわけで
最上級の部屋にはいれば誰でもVIP待遇が受けられる。
これに対して、公立の病院などで
その自治体の議員や事務のトップ、あるいはどこかの社長が
変に威張り散らしていたり、特別待遇を求めたりすることがあり、
これには解せないものがある。
公立の病院では私立のようなサービスは望むべくもないことが多い。
だいたい高級な設定がそもそも存在しない。