ブログで議論

http://d.hatena.ne.jp/zaw/comment?date=20060607#c
 一応、6/7分のコメント欄に対しての返答代わりに、追記しておきます。ちょっと脱線して、僕のテキストに対するスタンスなども。

 まず、僕はたまたまブログツールを使ってテキストを書いていますが、自分としては、あまりブログであるという意識をしていません。ずっと書いていた、ウェブ日記の延長のつもりです。自分の「サイト」とか「テキスト」という言葉を使っても、自分の「ブログ」という表現を、今までおそらく一度もしていないと思います。

 トラックバックの機能を、積極的に使ってみようと思ったこともありましたけれど、その強制的なリンクの網羅に、便利な面よりもむしろ鬱陶しさを感じてしまうようになりました。データへのアクセスというよりは、雑記として、そこだけでおおむね完結するテキストという意識が強いからかも知れません。ただ、素人が気軽に発信できるということくらいしか、ウェブの利点はほとんど生かしていないことになります。

 積極的にトラックバックを送信したのは、実はほんの数回で、あとは、はてなidトラックバックを、送受信とも禁止にはしていないという、消極的な利用のみです。これも、はてなを使い始めた当初からの感覚ですと、たんなる文中リンクというようなつもりです。もちろん、こちらへスパムではないトラックバックを送って頂けるのは歓迎しますし、「鬱陶しさを感じた」といいながらも、はてなを気に入って使っているので、深刻なことではありません。

 そんな前提もあり、僕は、自分の考えを一方的にここに載せているだけで、それで議論しようというようなことはあまり考えていません。もちろん、コメントを頂いて、それに返答するということはしますが、「議論のための議論」や、「水掛け論」に発展するのは避けたいと思っています。

 何でも話し合えば結論が出るとか、全ては論理的に説明できるとも思っていません。あくまでベースに感情や好き嫌いというものがあると思います。また、ここで何らかの結論を導き出すということや、善悪を結論づけるというのはほとんど意味のないことだと考えますし、そもそも不可能だと思います。あくまで、僕は僕の考えしか述べられないし、よほどのことがなければ、考えが180度変わるということはありません。コメントやトラックバックで頂いた、同意あるいは「別の意見」は、多くの場合、そういうものだとして受け止めることしかできません。もちろん、「明かな事実誤認」とかいうことであれば、「正しい」結論へ修正するということもあるでしょうけれど、そういったことではないのです。

 過剰に感情的であったり、「水掛け論」を匂わせるコメント群に対しては、そもそも何を書いても果てしない「言い合い」になってしまうことがほとんどです。多くの場合、本文中への追記という形をとり、自分の考えを表明の「終わり」を宣言するというのは、こうした理由からです。

 医療問題など、ナーバスな問題を取り上げるとき、僕は当然医者としての視点でものを言います。それに対して同業者と思しき方々から、同意のメッセージを頂くことは多いですが、別に身内で集まってどうこうというわけではありませんし、それに対して、「身内での議論はマスターベーション」という表現をされても、どうお答えしてよいのか分かりません。どこかの論争を引き合いに出され「どちらが議論と呼べるか」とおっしゃられても、そもそも誰かと議論をしているというつもりもないのです。強いていうのであれば、僕はここで議論をしているというより、持論を一方的に書いているので、それが自己満足、マスターベーションであるというのであればそうかも知れません。ただ、全てのブログやテキストサイトが必然的にそうなりますけれど。

http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060607#p1
 さて、一応「外国人健診」についても追記しておきます。まあ、あの文脈を理解しないというのは、わざとねじ曲げてとらえようとするか、根本的に言語能力が劣っているかということになってしまうので、追記するといっても、同じことを繰り返すだけなのですが。

 健診というのは単なるスクリーニングです。基本的には健康と思われる人が、病気の早期発見のために行うものであり、なんらかの症状に対する医療とは根本的に異なります。健診の精度は、もちろん、技術や高度な機器によって左右される部分はあります。しかし、より高度な技術や機器を要する精密検査は、その前段階のスクリーニングでひっかかった場合に考えればいいことであり、健診のたびに全身のCTとMRIを撮り、胃カメラに大腸ファイバーまで行っているわけではありません。

 よほど特別な理由がない限り、健診をわざわざ外国でする理由はあまりありません。少なくとも、中国や韓国で健診が不可能なほど医療が立ち後れているということはありません。もちろん、病院や医者が自主的に発案して、富裕層を勧誘して健診事業で儲けても自由だとは思いますが。

 しかしもともと、公立病院というのは、健診のためというよりは、あくまで既に病気をかかえた人の治療にあたるため設置されたものです。公立病院は、概してマンパワーが足りず、スタッフの待遇も悪く、非常に忙しいことが多いです。義務感や使命感で働くスタッフによってなんとか支えられてはいますが、その崩壊の始まりが、全国的に問題にされているのです。

 その状況で、公立病院に金儲けのための健診を導入する理由はありません。国境無き医師団とかそんな話とは一切繋がってきませんし、通常業務も滞りそうな状況に、新たな負担を強いることで、5年後、10年後には公立病院が完全崩壊してしまわないかと危惧しているのです。