ネット上の医師たち

 ネット上で、医師(を名乗る)方々による、誹謗中傷のような品のない発言が少なからず見受けられるという指摘は正しいと思います。内容的には真っ当な意見なのに、表現の仕方が稚拙だったり、「茶化す」ようなものであったりすることもよく目にします。投げかけられるメッセージが感情的すぎたり、品のないものであったとしても、それに同じように返事をしてしまうのでは、あまりにもお粗末だと思います。また、マスコミなどに対して「上から一方的に物を言っている」と批判するのに、自らも同様の発言をするということも少なくありません。

 まあ、僕自身が、「一方的な思いこみで」、医療という専門性に基づいて発言しているつもりが、ついつい医療関係者以外に対して「上から物を言ってみたり」、感情的なメッセージに対し、売り言葉に買い言葉のような「感情的返答」や、相手を小馬鹿にし、「茶化す」ようなことを全くしていないかと言えば、自信はありません。批判的にここをごらんになっている方々にとっては、「お前が言うなよ。自覚しろよ」という話なのかも知れません。

 しっかり責任を持った発言をするならば、もちろん実名であることが望ましいのかも知れません。そういう必要がある場合は、ネットとは別の場所で、もちろんそうしています。次善の策として、匿名ではありますが、「ザウエル」という、使い捨てにするつもりのない、愛着のある名前を用いて、医師を名乗っている以上、ある程度の責任を踏まえて、ここにテキストを綴っているつもりです。自分のサイトも含めて、コメント欄や掲示板で意見を展開していくようなことが少ないのは、「売り言葉に買い言葉」・「水掛け論」・「感情的反応」に注意しているからというのもあります。

 絶対的な正解や結論がない問題というのはたくさんあります。そして、そこに対して僕はある意見を持ちますが、それに反対する人もいるでしょう。それをどちらかの結論に持っていくためのディベートとか、組織の方針を決めるために、落としどころを決める必要がある場合もあるでしょうけれど、とりあえずここは、僕の一意見を表明するという場にすぎません。それに対して、コメント欄で反対意見が展開されたりするのはもちろん構いませんが、そもそも結論にたどり着くことを目的にはしていないし、それが不可能だと思うのは、何度も書いている通りです。

 また、医療という専門性から、特に医師と患者の関係においての意見については、医療を全く知らない方より、同じような立場で働き、悩んでいる医師の方々に同意を頂きやすいのは事実だと思います。僕自身としては、それが医師から発せられたものであるということに、過剰に高い意味付けはしていません。ただ、医師を批判的に見ている方々からは、「また身内でかばい合っている」と思われるかも知れません。そこに、冒頭に書いたような「医師の品のない発言」がイメージとして一括りにされてしまうと、医師への悪印象は決定的になります。

 医療関係者からは「身内」とくくられる、同じ医師として「医師の品のない発言」に触れると、擁護する気にはなれません。彼らと同じに見られてしまうかも知れないと思うと、その医師に対して、むしろ憎悪すら感じます。ですから、僕は「真っ当な」身内はかばうかも知れませんが、「品のない、不誠実な」医師に対しては、かえって厳しい感情を持っています。それを含めて「身内」とされることには不快感を感じますが、医療関係者以外がそういった感情を抱くのは容易に理解できるし、この誤解はあくまで医療側の責任です。

 内容としては申し分なく、専門知識も、データの解析も、それによる自分の意見にも問題ないのに、やたらと尊大だったり、自分の意図を読めない者をあからさまにバカにしたような物言いをする医師というのは、おそらく、「自分は正しい筋道で話しているのだから、理解しないのは相手が悪い」と断定しているのだと思います。これは、すべてが理論で片付くと思いこんでいる大いなる誤解のなせる技です。メッセージを受け止める側としては「理屈はわかるけれど、感情として不快」あるいは、「不快すぎて内容を判断する必要もない」ということになり、どんなに「正しい」理論であっても、理解には通じません。

 このあたりは、僕も大いに反省せねばならない点で、こういったことのために、おきているすれ違いは多いと思うのです。中には、相手があまりにも批判的・疑心的すぎて、かなり気を使った発言すら、全く受け入れてもらえない場合もあるでしょうけれど、多くは「理論を感情論で返されても」といってバカにしておしまいにすべきではないのだと思います。もちろん、送り手が一方的に努力すべきことではなく、あくまで受け手が歩み寄ることによって、この関係がうまくいくのは言うまでもありません。

 医師という立場として、最近の社会情勢や報道される内容からは、医師−患者関係に関して、医者からの無限の歩み寄りを求められているように感じてしまうのです。もちろん医療の閉鎖性とか、「私にすべてまかせなさい」というパターナリズムへの批判という主旨であることは分からないではないのですが、実際に外来に出ていると、あくまで送り手からの一方的な歩み寄りを要求し、「専門性を尊重する」とか、「理解できるように努力する」という姿勢が感じられない患者さんは少なくないのです。その結果が、形式だけの同意書や説明書きの山なのだと思います。究極論的には、ある疾患の説明に論文の束を渡せば良いし、薬を処方したら、薬の添付文書を渡せば良いということになってしまいます。そうして、可能な限りの情報を与え、治療や検査を、リスクとメリットを自分で判断して決定して頂くのです。それが不可能だからこそ、専門家がいるわけです。

 さて、実社会同様、ネットでの発言に気を付けなくてはいけないのは、もちろん理解しています。ただ、やはり実社会以上に「本音」が出てきやすい場所なのかも知れません。今まではあまり分からなかった、いろいろな世界の裏側や、そこでの本音に触れることが容易になってきたのです。心の中まで読んでいるわけではありませんが、ネット以前に比べると、他人の実情や感情に触れやすくなっていると思います。ネット以前は、医者が診察室で何を考えているのかなんて、あまりわかりませんでした。全く分からないよりは、多少分かっていたほうが良いとは思います。でも、分からないほうがうまくいく関係もたくさんあると思います。対面する人の本音が全てみえてしまったら、多分、辛すぎます。