マスコミという権力

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/4254/up-date/record-new.html (2006/7/17分)

 それに、まだ裁判も始まっていない時点で、容疑者を断罪するような報道のしかたには、非常に違和感を感じる。

 昨日今日の論調は「ついに容疑者は彩香ちゃん殺害を認め自供を始めました。しかし、辻褄の合わない部分も多々あり、二転三転する容疑者の自供内容にはまだまだ隠された点があるようです」というもので、実際に自供した犯行現場から撮影した映像で、「テレビ中継実況検分」をしたりして視聴者を飽きさせないようにしているわけです。

 しかし、「自供内容には信憑性がない」といいながら、自子の殺害をしたかどうかに関してはほとんど検証されない。

 というか、はっきり言って屑みたいなもんですけど、一番怖いのは、ここ10年くらいで、こういう「ワイドショー的」な報道スタイルが、ごく一部を除いたすべてのニュース番組で標準になったことですよね。

 全く同感です。ブックマークにストックしておいた関連エントリも、いくつか取り上げておきます。
 容疑者の高校時代、卒業文集に悪口のオンパレードが寄せられた件に関しての報道も、まるで「悪口をかかれたほうが悪い」というようなものでした。
http://puffadder.seesaa.net/article/19313579.html
新潟青陵大学大学院 臨床心理学研究科 教授
心理学博士 碓井真史氏のコメント

高校時代から垣間見られたであろう容疑者の反社会性に対する同級生の反応のあらわれ

件の碓井氏は、自分のサイトを持っています。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news2/2006/akita_muder3.html

 容疑者女性へ向けての言葉は、次のようなものでした。

 「元気で」「さようなら」「がんばれ」といった言葉が8人。

それ以外は、

「一生会わないでしょう」「目の前に来んな」「会ったら殺す」「秋田から永久追放」「秋田の土は二度と踏むんじゃねぞ」「戦争に早く行け」「二度と会うことはないだろう」「山奥で一生過ごすんだ」「いままでいじめられた分、強くなったべ。俺たちに感謝しなさい」。

 その他の「アンケート結果」として、

「すぐに仕事を辞めてしまいそうな人」の女子の第一位、

「墓場入りが早そうな人」の女子第一位です。

また、彼女が将来何で有名になるかという問いに対して、

「自殺、詐欺、強盗、全国指名手配、変人大賞、女優、殺人、野生化」と書かれています。

他の生徒に対しても、きついことが書かれてありまして、悪ふざけとも思えますが、彼女への言葉が一番冷たいものでした。
 たしかにひどい言葉です。私も一読して気分が悪くなるほどでした。しかし、それでは言葉を書いた級友達が特別な悪人なのでしょうか。彼らが、加害者女性を心理的に追い詰めたのだと責めることができるでしょうか。
私は、そう簡単にはできません。現在の彼女を見ると、人格障害的な部分を感じますが、おそらく高校生のときからそのような言動が見られたのでしょう。

「それでは言葉を書いた級友達が特別な悪人なのでしょうか。彼らが、加害者女性を心理的に追い詰めたのだと責めることができるでしょうか。私は、そう簡単にはできません」とのことです。もちろん、そう簡単ではないと思います。容疑者が、そういったひどい言葉を受ける背景として、問題行動があった可能性は否定しません。ただ、そうした背景があろうとなかろうと、この言葉は明かな暴力であり、卑劣なイジメです。これを肯定するかのようなとらえ方は到底納得できません。

この文集に関しては、ネット上では大きく2つの意見が飛び交っているように思えます。
悪口を言っている側に同じように立って、彼女をののしる意見。

もちろん、恐ろしい犯罪を犯したのですから、責められるのは当然ですし、私も安易に弁護する気はありません。

まあ、僕もこの犯罪に対して擁護するつもりは毛頭ありませんが、この犯罪がそもそも本当に容疑者によるものだったのかは確定していません。自供にしても、その供述があやふやであるといいながら、「自分が殺した」という供述だけは正しいと判断できる材料はありません。

しかしだからといって、当時の高校生と同じように、大勢で汚い言葉を投げつけても良いのでしょうか。

他人事のように書いていますが、端から見ていれば、碓井氏自身が、容疑者を断罪し、汚い言葉を投げつけることを容認するようなことを、公共の電波で語っているように感じます。碓井氏自身にその意図がなかったとしても、少なくともマスコミは、勝手に容疑者を断罪し、人格攻撃を行い続けています。

 もう一つの意見が、級友達を責め、学校を非難する意見です。もちろん私もこの寄せ書きがよいものなどとは思えません。
しかし、乱暴に彼らを責め立て、学校に嫌がらせの電話をかけるような言動は、主観的には正義感に基づくものだとは言え、彼女に対してみんなで悪口を言っていた生徒たちと、基本的には同じ心理を感じるといってしまうのは、言いすぎでしょうか。

級友や学校は少なくともこの文集に対しては非難されるべき存在でしょう。ただ、もちろん嫌がらせの電話といった行為には正当性はありません。これらは全く違う問題だと思うのですが、これを同列に並べることで、話の主旨を歪めているようにしか思えません。

(いじめに関する調査によれば、いじめっ子の多くは自分は正しいことをしていると感じています。いじめられっ子に対して、きたないから、ルールを破るから、などの理由をつけて、自分達は正当な制裁をしていると感じているのです。)

だから何ですか? 正しいことをしていると感じているから、いじめっ子は悪くないのですか? 何が言いたいのかわかりません。いじめというものが明確な悪意によっておこなわれるわけではなく、「正当な」理由によるのであり、いじめられる側に、その「正当な制裁」を行わせる原因がある、という誘導にしか読みとれませんし、結局「いじめられる方も悪い」という、もっともダメな心理分析に終始しているようにしか感じられません。

 それでは、あなたなら、とんでもない問題行動を次々と起こしていた彼女の友人となり、心無い級友達から守り、悪口だらけの寄せ書きのなかに、暖かで親切な言葉を書けたのでしょうか。

これも全く次元の違う話ですよね。しかも、「とんでもない問題行動を次々と起こしていた」と断定しています。まあ、実際に起こしていたのかも知れませんし、そうではないかも知れません。そして、同じ教室に自分がいたら、その悪口に加担しなかったとしても、擁護する側にはまわらなかったかも知れません。だからといって、悪口を寄せた卒業文集の正当性は無いと思います。
 さらに、碓井氏は延々と容疑者の心理分析を行い、「人格障害」の疑いが強いとマスコミや自身のサイトで表明しています。碓井氏に限らず、「容疑者」になった段階で、ほとんど人権が無視され、プライバシーに踏み込んだことが報道され続けます。「容疑者」に対してならなんでもして良いというコンセンサスがあるかのようですが、これは実に違和感を覚えるところです。
 犯罪者に人権なんて無い、というような方も少なくありません。ただ、繰り返しますが、これは確定した犯罪ではありません。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060611#p1

 尤も、今回の場合、本人も罪を認めているとされますから、ある程度その容疑者についての報道があっても仕方はないでしょう。その事実や公式に発表されている事件背景の報道は、「ジャーナリズムの正義であり義務であり権利」という範囲におさまるかも知れません。しかし、憶測や不確定な情報だけで、容疑者の人格を断定していくという手法はどうなのでしょうか。彼らに言わせれば、「ひとつの見解を述べているだけで、別に決めつけてはいない」のかも知れませんが、テレビや新聞の力は偉大だし、そこで報道されれば、世間はそれを「真実」だと考えます。

 特に、これから裁判が行われるような事件に関して、憶測の部分の報道は最低限に留めるべきではないのでしょうか。個人的には、事件の事実の報道だけでじゅうぶんです。どうしても容疑者の人格とか、複雑な家庭環境とか、もうほとんどゴシップに近いものを流すのであれば、最低限刑が確定してからにすべきです。司法の立場にある人間は、しばしば「逮捕の時点で大騒ぎすることではない。裁判で無罪を勝ち取ればよい話だ」ということを言います。しかし、裁判となれば、それだけで多くの時間や大切なものを失いますし、仮に最終的に無罪であったとしても、無遠慮な報道で、勝手に「社会的制裁」を加えられています。そして、ほとんどの場合、失ったものは戻りません。身内も巻き込んで、社会的に抹殺されます。そして、マスコミや裁判は「事実誤認」や「冤罪」であった場合の名誉回復にはほとんど役に立っていないのです。