2.18という記憶

http://d.hatena.ne.jp/zaw/20071231#p1
 昨年の締めくくりのエントリにも記した如く、僕にとって福島県大野病院事件は、いまだに心に重くのしかかるものです。被告という立場に立たされている医師の苦悩とは比べようもありませんが。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060303#p1
 帝王切開の際に予期できぬ重大な合併症に対し、懸命の治療にあたったにもかかわらず産婦を救命できなかったという「咎」で、一人の善良な産婦人科医が逮捕されたのは、おととし、2006年の2/18のことです。あれからもう二年。裁判はまだ続いています。経過は、「周産期医療の崩壊をくい止める会のホームページ」等で追いかけられています。
http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=FrontPage
 本年1/25に第十二回公判が行われ、3/21に検察官の論告求刑。5/16に弁護側の弁論が行われる予定であるようです。
 医療に絡んで裁判が行われる時、必ず叫ばれるのが「ただ真実を知りたかった」という台詞です。しかし、裁判がかえって真実を明らかにすることの障壁になることも少なくありません。また、本当に「真実」が明らかになることを望んでいるのか疑問に感じることもあります。多くの場合、訴える側が望むのは、真実の如何に関わらず、ただ単に「医療ミスがあった」ということを医療サイドに認めさせ「責任をとらせたい」だけなのではないかと邪推せざるを得ない部分も多いのです。これは、既に様々なところで議論されていることですが、現行の裁判というのが、純粋な真実の追求の場にはなり得ず、また、双方の和解の場には到底なり得ないという根本的なことに起因します。
 今回の場合、出産という喜ばしい場面で、産婦が亡くなってしまうという非常に哀しい出来事が起こったのは事実です。しかし、こうして一人の命が失われたのだから、誰かに責任があるのだという考えは乱暴すぎます。もともと、出産というのは命がけのものであり、誰のせいでもなく命を失ってしまうということは容易に考えられるはずのことだったのです。出産に限らず、この世の中には、誰のせいでもない、哀しい出来事というのはたくさんあるはずなのです。
 ご遺族の皆様には、心よりお悔やみ申し上げます。しかし、おそらく罪のない、善良な一人の医師を、激しい感情で罵倒し続ける姿に、憎悪のような気持ちを抱いてしまうのも正直なところなのです。(これをはっきりネット上に書くことはずっとためらっていましたが、聖人ではない僕の正直な感情として記しておくことにしました。)
 誰のせいでもないこと、「真実」を語るということ、哀しみを受け入れる過程を裁判が妨害するかも知れないという思いについては、「訴訟を起こされるのは真実を語らなかったから?」というエントリに綴っています。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060317#p1
 割り箸が脳に刺さって子どもが死亡したのが医師の過失だとして争われていた裁判は、刑事無罪、民事も原告敗訴となりました。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060329#p1
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080212-00000096-jij-soci

 東京都杉並区で1999年、杉野隼三ちゃん=当時(4つ)=が割りばしをのどに刺し死亡した事故で、医師が適切な治療を怠ったとして、父の正雄さん(56)らが病院を経営する学校法人杏林学園(三鷹市)と医師に総額約8900万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が12日、東京地裁であった。加藤謙一裁判長は「頭蓋(ずがい)内損傷を予見することが可能だったとはいえない」として、遺族の訴えを棄却した。遺族側は控訴する方針。

 これは医師の側からみれば当然すぎる判決です。控訴などせず、もう終わりにして欲しいと思います。
 さて、最後に本題です。昨年に引き続き、id:Yosyanさんが、前述の産婦人科医が逮捕された2/18を決して忘れないための呼びかけをされています。
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20080218

我々は福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します

 もちろん、僕もまた、医師の無罪をかたく信じ支援致します。
 そして、我が国の医療が、正しくありますように。