In dubio pro reo

 我が国の刑事事件における、「推定無罪」の原則を無視した拘束と暴力的、拷問的取り調べ、その原因ともなる自白偏重主義、裁判における非科学的な証拠採用はどうにかならないものなのだろうか。自らはリスクを負わないで無責任な暴力的報道を行うマスコミと(そしてそれを許容する、むしろ希求しているのかもしれない社会と)あいまって、疑われた時点で過酷な制裁が始まってしまう。
「疑わしきは被告人の利益に」
"In dubio pro reo"
の言葉が虚しい。
 誰の目から見ても有罪であるという確たるものがない限り、人を断罪してはならない。仮に、真犯人を見逃す可能性を残すとしても、一つの冤罪も生み出してはならないというのが僕の強い思いである。