誹謗中傷

ネットで横行、患者中傷 医療事故被害者が標的に

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200805180377.html

医療事故で亡くなった患者や家族らを中傷する内容の書き込みがインターネット上で横行しているとして、事故被害者の遺族らが十八日までに、実態把握や防止策の検討に乗り出した。悪質な事例については、刑事告訴も辞さない方針だ。

 遺族らは「偏見に満ちた書き込みが、医師専用の掲示板や医師を名乗る人物によるブログに多い。悲しみの中で事故の再発防止を願う患者や遺族の思いを踏みにじる行為で、許し難い」と指摘。

 厚生労働省も情報を入手しており、悪質なケースで医師の関与が確認された場合は、医道審議会行政処分を検討する。

 中傷を受けた遺族や支援する弁護士ら約二十人は四月、大阪で対策協議会を開催。日弁連人権擁護委員の弁護士も出席した。会場では被害報告が続出し、今後も情報交換を続け、対応を検討することを確認した。

 メンバーの一人で高校教諭勝村久司さん(46)=京都府=によると、中傷は「事故の責任は医師にはなく、悪いのは患者」といった趣旨が多い。二〇〇四年に福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性=当時(29)=が死亡した事故で、〇六年二月に産婦人科医(40)が逮捕された直後から目立ち始めたという。

「マスコミたらい回し」とは?(その123)NHKが横浜焦土作戦で神奈川県の産科を崩壊に追いやる共同通信と共同戦線 医療blog破壊攻撃に参加 第一弾は5/21朝8:35「生活ほっとモーニング」で放映予定―天漢日常

http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2008/05/123nhk_blog_521_9ff0.html

この番組は
 大野病院刑事裁判への「有罪判決誘導」のメディア側圧力
になるのではないかと危惧する。
 公平中立の報道を旨とする特殊法人日本放送協会
が、共同通信の配信では、
 中傷は(略)二〇〇四年に福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性=当時(29)=が死亡した事故で、〇六年二月に産婦人科医(40)が逮捕された直後から目立ち始めた
という発言をしている勝村氏に取材している。従って、当然、「生ホモ」では
 大野病院刑事裁判
についても、言及されるだろう。
公判記録を読む限り
 非常にまれな疾病による、不幸な病死
が、大野病院事件の本質であるというのが、弁護側の主張である。こうした
 弁護側の主張も「誹謗中傷」
になるのか。そうなるとすれば、今後、
 患者の主張はすべてメディアにも取材され、ネット上の発言としても許容されるが、患者の見解と立場を異にする意見はすべて「誹謗中傷」と看做される
ということではないのか。

 ネット上での医師たちの意見表明については、同業者からみても好ましからざるものもあるということは、過去に何度か書いてきました。僕が危惧していたのは、こうしたことの積み重ねが、真っ当な意見までも「誹謗中傷」と括られてしまうことでした。

ネット上の医師たち

http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060610#p2

ネット上で、医師(を名乗る)方々による、誹謗中傷のような品のない発言が少なからず見受けられるという指摘は正しいと思います。内容的には真っ当な意見なのに、表現の仕方が稚拙だったり、「茶化す」ようなものであったりすることもよく目にします。投げかけられるメッセージが感情的すぎたり、品のないものであったとしても、それに同じように返事をしてしまうのでは、あまりにもお粗末だと思います。また、マスコミなどに対して「上から一方的に物を言っている」と批判するのに、自らも同様の発言をするということも少なくありません。

医師限定?

http://d.hatena.ne.jp/zaw/20070523#p1
 勝村氏の主張も、ある程度までは正しいのだとは思いますが、不幸な転帰に至った症例について、「バッシング」や「誹謗中傷」を受け、警察に逮捕されてしまうような辱めを受けてしまった医師が、患者側の意にそぐわない意見を表明することまでもを「誹謗中傷」と括ってしまっているように感じられるし、そこには拭いきれない強い違和感が残ります。
 また、不幸な転帰をたどった患者さんやその家族の方が、深い哀しみの中で、どこかに責任を見つけようとして、裁判などに活路を見出すという気持ちは理解できます。ですから、自分の罪ではないかも知れないことでも、受け持ちの患者さんの不幸な転帰を重く受け止め、「反省」している医師としては、患者さん側の言いがかりに近いような訴えでも受け止めるのだし、大野病院の産婦人科医は、家族の求めに応じて土下座をしたりもしたのです。
 よく誤解されることですが、僕らの「反省」は、「罪を認める」ということとはイコールではありません。あの時もし別の方法を選択していたら、という反省はいくらでもできますが、それは結果論であり、同じ疾患に同じ治療が同じ効果を生むわけではないという結果の不確実性という医療の特徴から言っても、それらの反省点について糾弾するというのは相応しくありません。、我々医師達がカンファレンスで過去の症例について議論するときは、将来の医療の向上のために、過失ということに限らずあらゆる観点から反省点を出し尽くしているのであり、これが医療の進歩を支えてきたのです。反省点と過失は必ずしも一致しません。しかし、医療の専門家でない人々の間に「助かる可能性があったのにそれができなかったのは過失であり罪だ」という認識があるように感じています。
 僕は、何度となく、医療の不確実性や必ず死を迎える生命ということについて訴え、医療に刑事罰を持ち込むのはおかしいということを述べてきました。しかし、実際に受け持った患者さんが避けがたい不幸な転帰をたどったときに、「これは仕方のないことだ」と割り切っているかというとそんなことはありません。医療に関したことだけでなく、僕の負の感情の引きずりっぷりといったらそれはもうひどいもんです。そして、それは消化したつもりでも、どんどんと蓄積されていくものです。南木佳士著「医学生」の中にもそんな描写があったように記憶しています。
 医師たちが自分の良心と「反省」を前提に、患者側からの感情的な言動をじっと受け止めているわけですが、それはあくまで医師たちの良心に基づいた結果であって、「何の罪もない」医師を「誹謗中傷」しても良いということではありません。それを黙って受け止めることが、患者さんやその家族が立ち直るための重要なプロセスであると考え、きつい仕打ちに耐えてきたのに、まるで医師を殺人者のように扱うような世の動きに耐えきれず、言われ無き誹謗中傷に反論し始めたというのが真実だと思います。
 今年の2/18に、初めて患者側家族への違和感について少しだけ書いています。これは誹謗中傷ではないと思うのですけれども。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20080218#p1

 ご遺族の皆様には、心よりお悔やみ申し上げます。しかし、おそらく罪のない、善良な一人の医師を、激しい感情で罵倒し続ける姿に、憎悪のような気持ちを抱いてしまうのも正直なところなのです。(これをはっきりネット上に書くことはずっとためらっていましたが、聖人ではない僕の正直な感情として記しておくことにしました。)