手術以外の仕事

 午前中胃カメラ。ほぼ毎日日記をつけることを再開してみて、やはり僕は内視鏡を握っている時間が長いなあとつくづく思います。消化器内科医のいないこの病院では、自ら内視鏡を握らなければ、なかなか手術症例も見つからないのですけれども。
 午後は比較的小さな手術がありましたが、特に問題無く終了。夕方回診して書類仕事を少しこなして、今日の仕事はおおむね終わりです。
 外科病棟は、最近、緩和ケア病棟の様相を呈しています。外科医が手術はもちろん、抗癌剤の治療もしてみたり、さらには癌の末期の患者さんにも関わるというのにはやはりたくさんの不備があるし、短期間の入院を前提に国に設定された「急性期病院」が、穏やかな最期を迎えるのに適した場所だとも思えません。せめて痛みや苦しみのないように、というのが精一杯のところで、自分らしい最期ということや、カウンセリング的な精神ケアというところまではとてもじゃないけれども手が回りません。
 僕らが癌の手術を行う多くの病院が、一方では「がん拠点病院」とか言いながら、もう一方では「急性期病院だから長期の入院は療養型の施設へ」と言う立場をとらされるジレンマを抱えています。しかしながら、急性期の医療を終えた後、自宅へ帰ることが困難な人々を受け入れる施設や人的・経済的な資源というのはほとんど用意されていません。僕は、「がん難民」などという言葉が叫ばれているのには異議があって、ある特定の施設での治療を希望するということになればかなり待つことにもなるとは思うのですが、この日本において、急性期の治療を受けることができないということはまずないと思っています。しかしながら、急性期の治療を終えて、医療と介護・福祉の狭間に落ち込んでしまうと途端に難民となる恐れが出てきます。
 医療と言うよりも社会福祉の不備を、多くの場合急性期病院で治療に関わった「主治医」が抱え込まされます。こうした答えの出ないような問題に対しての折衝に当たらされるというのは、長時間の手術や当直よりもかえって大きなストレスとなりうるのです。
 世間一般では、外科医はおおむね手術だけしているのだろうと思っているのに違いありませんが、実のところ、手術以外のことに関わっている時間のほうがむしろ長いような気もします。