卒業

 送別会という時節柄か、宴席が続いています。勤務先の部署ごとの送別会だとか、大学の所属チームの送別会、その他もろもろ大小の呑み会の他、学生時代に所属していた部活動の追いコンとか卒業ライブとかいうものにも顔を出しているので、今月後半は毎日のように酒を呑んでいて流石に相当くたびれています。
 そうした疲れのせいなのかわかりませんが、日頃眠りの浅さに悩んでいる僕が、先日は珍しく深い眠りにおちてしまったようで、病棟からのコールに反応できず、かわりにボスに対応して頂いてしまうという失態をおかしてしまいました。一度のコールで起きられないということはそれほど珍しいことでは無いのですが、何度も電話を鳴らしてもらって反応できないということはこれまでなかったことなので困惑しています。ボスが深夜に病院に出向いてまで対応して頂いたので問題も起こらず、その件について特に咎められるでもなく笑って流して頂きましたが、今後気を付けなくてはならないと思うのでした。しかしながら、気を付けると言っても具体的にどうするかというと思い浮かばず、こうして勤務時間以外に即座に対応できるように準備し続けることの難しさを改めて確認させられたということなのですけれども。
 ボランティア待機を当直や夜勤と同様に文字通り即応、万全の体制で待機するというのは、その頻度にもよりますが、現状では僕にとって体力的に無理な話です。お酒も呑みますし、最近不眠に悩まされる身としては睡眠導入剤も使いたいというのがあって、今までは緊急時の電話対応ができなかったようなことはなかったのですけれども、今回のようなことを経験してしまうと今後やはり眠剤の使用というのは非常に躊躇われます。しかし、良質な眠りを得られないというのは日中全てに引きずるような苦痛なので悩ましいところです。
 かつては事実上の24時間365日ファーストコール状態におかれていて、僕が対応できずに看護日誌に「Drに連絡つかず」なんて書かれたり、上司に電話がまわってしまうことが怖くて怖くてたまりませんでした。もうそうなると、遠出もできないし、映画なんて観られません。その価値観で言えば本当はお酒だって呑めないんでしょうけれども、その怖さとストレス故に、お酒は良く呑んでいました。その当時は、シャワーから水が出る音が電話の音に聞こえてあわてて風呂を飛び出したりとか、どう考えても病的な状態だったのですが、周囲には似たような境遇で似たような幻聴を聴く研修医がゴロゴロ転がっていて、それを病的だと自覚できなかったのです。
 今では「当時ほどの」恐怖感というのは無くて、「すぐに電話に出られないことも当然あるのだし、かわりに誰かに対応してもらえればそれで良い」と思うようにはしてはいるのです。しかし、今回の失態のように、何かしらのきっかけがあると、自分のミスを何度も何度も反芻してしまう癖があります。そうしてまた電話を過剰に恐れた記憶が蘇ったり、ボランティア待機にすら言いようのない拘束感を感じてしまうのです。つくづく人間の持つ素晴らしい能力は「忘却」だということを考えるのですが、僕は割と日常の細々した出来事をあまり忘れることができずに積み上げていってしまうようです。それこそ三歳くらいの頃からの自分が犯してしまった罪とか失敗とかの記憶が残っていて、忘れたくて忘れたくてたまらないのに、事あるたびにそれらの記憶を鮮明に思い出しては誰にも言えずに反芻してしまうのです。
 過去の失敗を今後に繋げることというのは重要だし、医師として働く上で、失敗を二度と繰り返さないという意味で背負っていくのも大切なことだとは思うのですが、度を超えるとそうした負の記憶は医師として働く上で足枷にしかなりません。医療バッシングに流れる世論と相まって、ますます萎縮してしまうという負の流れが生じてしまうのです。精神科医の友人には、「お前は病院や医局に対して隷属しすぎだし、考えすぎないほうがいい」とよく言われていて、まあそうなのだろうと頭では理解しているのです。しかし僕はネットで正論を吐くほどには、自分の権利だけ主張してみたり、理論的に法令的に正しく動くということは出来ていません。根本的にはそれが誰かの都合で発せられた言葉だったとしても「患者さんのため」とか言う文言にはやっぱり非常に弱くて、研修医時代に刷り込まれてしまった奴隷労働的本能で思考してしまうせいで、とにかく精神的に疲弊してしまうのです。
 過去にも繰り返し書いていますけれども、僕はこうしてその時の気持ちを文字にすることで自分を落ち着かせるという習慣があるので、つらつらと負のオーラを漂わせた文章を綴りましたけれども、まあ字面ほどには沈まずに過ごせていますので、あまりご心配頂きませんようお願い致します。
 楽しいこともいろいろとありました。先日は、念願のバンドオリジナルメンバーによる「生ビールのうた」のレコーディングを行うことができました。昨年全員集まれず、たまたまそこにいたドラマーに叩いてもらって録音したままの状態だったので、一年越しで録音し直せて楽しかったです。機材持ち込んでの一発録りということとか、当然のように誰も練習などしていないままの顔合わせというのは昨年同様でしたが、そもそものバンドの主目的が「酒を呑んで酔っぱらった状態で、楽しく音が合わせられる」ことなので、その目的は達したと思います。みんなでゆっくり集まるというのが年々難しくなっています。ジャケットに使おうと、ジョッキにビールついで乾杯する風景を写真におさめたものの、メンバーの多くはその日アルコールを呑めずに車を運転して帰らなくてはならなかったのが残念でした。またゆっくりバンド旅行とかできたら嬉しいです。
 バンドの録音をした足で、ジャズ研の卒業ライブを覗きに言ったのですけれども、日頃あまりにも「僕も今年卒業」とか言い続けてしまったせいか、唯一の学部の卒業生のための他、僕や今年大学院を卒業する他のOB・OGにまで花束を用意して頂いており、恐縮しつつも嬉しかったです。
 まあ、僕の卒業は学位授与式だけが三月に一本化されている兼ね合いでここまで引っ張られているだけで、昨年六月付けで既に認められています。そんなわけで、大学院卒業が実質決定された論文のacceptの瞬間とか、学位審査終了の時期とかに感じた卒業気分というのはかなりの勢いで吹っ飛んでしまってはいたのですが、学部生たちの卒業モードに引っ張られて気持ちが盛り上がってきたところで、明日は卒業式です。学部時代の卒業式は途中退席して会場前でゲリラライブなんて演っていて、それはそれで楽しかったのですが、明日はきちんと出席することにします。あまり真面目な大学院生活ではなかったけれども、一応の成果としてせっかく頂いた博士号ですので、A4の味気ない証明書ではなくて、九ヶ月越しに学位記を受け取ってこようと思います。