地震、覚え書き

 僕が誰でありどこで働いているのかということはぼかしているわけですが、まあ関東近隣で働いているのだと思ってください。
 昨日は朝の回診と午前中の上部消化管内視鏡(胃カメラ)を終え、午後からは下部消化管内視鏡(大腸カメラ)を行っていました。2件目のカメラで大腸ポリープがみつかったので、ポリペクトミー(内視鏡的ポリープ切除)を行い、クリップで止血。上司が三件目の検査をさあ始めようというところで、比較的弱く長い揺れがきました。ここ最近、何度かこうした弱く長い揺れを感じることがあったので、今回も同様にあまり気にしなかったのですが、直後に激しい揺れがやってきて、非常用電源以外は全部落ち、病院全体がガタガタと大きく震えました。

 一瞬の頭の中の空白の後、主に受け持っている五階の病棟の様子を見るために、階段へ向かいました。しかしながら一層揺れは大きくなり、階段途中で一度床に座って揺れが少し弱くなるのを待たなくては五階にたどり着けませんでした。しつこく続く余震の中を病棟へ駆け上がり、病室を端から端まで急ぎひとまわりました。壁や天井の一部にゆがみが生じ、漆喰のようなものがはがれ落ちたりしており、ナースルームのモニターや本が倒れ落ちたり、ロッカーがひっくりかえったりしていたものの大きな怪我を負った人は患者さんにも職員にもいなかったようで、まずは一安心。

 非常用電源に繋がっているテレビというものがなかったので、今どういう状態なのか全くわかりませんでした。患者さんが聴いていたラジオの情報を伝え聞いたり、iPhoneを使ってtwitterradikoustreamニコニコ生放送など使えそうなものをはじから試してみて情報確認。院内の固定電話も外線ほぼ不通であり、外界とのやりとりや安定した情報のチェックは、しばらくはほぼtwitterに頼りました。携帯メールもなんとか通じはじめた様子で、しばらくして家族の無事も確認できました。

 僕にとっては今までで体験した最大であり最長の地震です。病院一帯は停電となり、復旧の見込みつかず。八時間程度しか持たないという非常用電源用の重油の確保の目処がつかずに混乱していました。次第に情報が明らかになると、どうやら病院周囲の地域を抜けると停電はおきていないか、もしくは既に復旧しているらしく、近隣の基幹病院は全て稼働しているとのことで、勤務先の病院は停電以降の検査中止(検査不能)、急患ストップし、重油の確保、電源の復旧の目処がつかなければ重症患者の搬送を検討ということになり、とりあえずは職員に待機命令が下されました。

 幸い入院中の患者さんはおおむね状態が落ち着いており、急患も検査もストップしたので、すぐにやるべきことはそれほどありませんでした。電子カルテも全て使用不能となっており、院内でせめて一台だけでもいいから非常用電源で稼働しないものかと思いました。以前から、電源のメンテナンスの際など、電子カルテが全部止まってしまう時間がありました。記録も指示も過去の検査データも画像も一切を電子カルテに頼っているので、業務がお手上げになってしまう問題は分かってはいたことですし、直近の医局会でも指摘されていたことなので、今回のことを教訓に、なんらかの対策をとってくれることを強く望みます。さすがに管理職の皆様も、そういった要望を出していくとおっしゃっておりました。

 病院の窓から市街地方面を眺めるとネオンが輝いており、病院周囲だけ真っ暗という非常にシュールな光景。とりあえず重油の目処はつき、人工呼吸器など重要な器械が止まることは回避され、待機命令は解除。ちなみにこの日、病院の送別会の予定でしたが、キャンセルとなりました。キャンセルの際、幹事が「こんな停電で宴会できるんですか?」なんて連絡を入れたら、会場周辺は停電もなく平穏で、「いや、大丈夫ですけど」と返されて焦ったとかなんとか。夜勤の看護師さんが信号の止まった道を抜けてきて、病院から少し離れた場所の情報を話してくれたりして、なんとなく近隣の様子も分かってきました。

 地方の車社会で生活しているので、帰宅の手段は車です。車の中ではじめてラジオをゆっくり聴けて、あまりにもひどい被害にショックを受けながら、信号が完全に止まった道をのろのろと走りました。途中から急に電気がついている。帰り道のコンビニには食料がほとんど残っていなかったので、営業していたチェーンのラーメン店で遅い夕食をとり、深夜営業のスーパーで水や食料をある程度買ってから帰宅しました。お惣菜やお弁当の類は売り切れ。携帯電話の充電器なども不足。アパートは一階だったからか、病院のある地域とは揺れの程度が違ったからか、床に積んであった本がちょっと崩れていた以外は、驚くほどに無傷でした。

 病院の電気は深夜2時過ぎ頃に復旧したとのことで、本日の回診も無事終了。余震が続くことに怯えている患者さんも少なくありませんでしたが、とりあえず病院は平静さを取り戻してきています。今日になってようやく実家の親と電話で話したところによると、より震源に近い実家や親戚の家では、屋根瓦が崩れたり、窓枠が落ちたり、食器棚がひっくりかえったりとなかなか大変な様子で心配です。ただ、大きな怪我を負ったりということは無さそうで、とりあえずは一安心しています。

 東北大の医局にいる知人の安否がとても心配でしたが、ドコモの災害用伝言板で無事を確認。知人だけ無事なら良いということでは決してないのですけれども。まずは親しい人々の安否を確認するというのは正常な行為だと思います。

 いずれ人的な救援が行われる準備が整えばお手伝いする準備はありますが、まずは自分の勤務先での仕事をきちんとこなし、救援としては信頼できる窓口への寄付というかたちをとりたいと思います。きちんとした準備が整わないうちに、自分の身の回りのことに責任を持てなかったり、別段特殊な技能のない人間が被災地入りするのは、これまでの災害時の状況を考えると好ましくないと思われます。自衛隊からみれば救援しなければならない人が増えるだけだし、生活に必要な物資を横取りしなければならない結果にも繋がります。また、交通や仕分けのシステムが整わないうちに、救援物資を送っても届けるべきところに届る手段がないというのも、今までの災害の教訓でわかっているはずです。もちろん、千羽鶴を送るなんていうのも今の時点では論外。声なき声を拾わなくてはいけない救援の現場で、ヘリコプターの爆音が邪魔だというのも前々からずっと言われていることで、ヘリコプターを飛ばすマスコミは、そのあたりを肝に銘じるべきだと思います。

 とりあえず、覚え書き。僕は無事です。地域の病院も平静さを取り戻しつつあります。当地より被害の甚大な被災地に取り残された方々の救助が一刻も早く進みますようお祈り致しておりますし、必要とされればお手伝いをさせていただこうと思っています。今は目の前の患者さんを優先して淡々と仕事に臨みます。