救急病院の医師は神でなくてはならないという判決

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20061108 より。
 詳しくは上記エントリを参照して下さい。やや長いので抜粋しておきます。
判決文は http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/5DC0E6DAEC784F5649256DD70029B153.pdf
 交通事故患者を受け入れた病院で、経過観察していた患者が急変して死亡した件に対する判決です。当直の脳外科医は、専門外ながら心嚢穿刺を試みるなど、最大限の治療を行っています。
 それについて、

そうだとすると,被控訴人Eとしては,自らの知識と経験に基づき,Eにつき最善の措置を講じたということができるのであって,注意義務を脳神経外科医に一般に求められる医療水準であると考えると,被控訴人Eに過失や注意義務違反を認めることはできないことになる。G鑑定やH鑑定も,被控訴人Eの医療内容につき,2次救急医療機関として期待される当時の医療水準を満たしていた,あるいは脳神経外科の専門医にこれ以上望んでも無理であったとする。

と、現況を理解しているかと思いきや、続く文章で、

しかしながら,救急医療機関は,「救急医療について相当の知識及び経験を有する医師が常時診療に従事していること」などが要件とされ,その要件を満たす医療機関を救急病院等として,都道府県知事が認定することになっており(救急病院等を定める省令1条1項),また,その医師は,「救急蘇生法,呼吸循環管理,意識障害の鑑別,救急手術要否の判断,緊急検査データの評価,救急医療品の使用等についての相当の知識及び経験を有すること」が求められている(昭和62年1月14日厚生省通知)のであるから,担当医の具体的な専門科目によって注意義務の内容,程度が異なると解するのは相当ではなく,本件においては2次救急医療機関の医師として,救急医療に求められる医療水準の注意義務を負うと解すべきである。

 そうすると,2次救急医療機関における医師としては,本件においては,上記のとおり,Fに対し胸部超音波検査を実施し,心嚢内出血との診断をした上で,必要な措置を講じるべきであったということができ(自ら必要な検査や措置を講じることができない場合には,直ちにそれが可能な医師に連絡を取って援助を求める,あるいは3次救急病院に転送することが必要であった。),被控訴人Eの過失や注意義務違反を認めることができる。

なのだそうです。正直、現場でみている限り、数少ない救急専門医だって、各領域の細かいところにまで精通しているとは限らないため、トリアージの後は、専門医に回すことが多いと思います。診断をつける時点までに、相応の技量を要するわけですが。とにかく、全てを判断でき、最後まで手を出す救急医というのは、本当にごくごく一部です。
 また、今回の「心タンポナーデ」は結果論であり、これを早期に診断できなかったことや、専門外ながらトライした心嚢穿刺の失敗が「注意義務違反」、救急当直医の「相当の知識及び経験」とすることは、救急病院の当直医に神の水準を求めているような印象を受けます。
 id:Yosyan先生は、以下のように述べています。

え〜と、え〜と、そうなれば医師は救急医療機関の当番医になった途端、通常の専門領域の医者ではなく、救急医療の専門医としての能力が求められると解釈できます。解釈できるというより、そうでなければならないと規定されています。この事件であっても、救急病院以外の病院で脳神経外科部長が担当したのであれば「これ以上望んでも無理」と判決文では語られています。救急病院であるから心タンポナーゼの見逃しは注意義務違反と明言しています。

これの意味するところは大きいと思います。上記した判決文の中に、救急認定医は平成5年当時で全国で2000人程度しかおらず、なおかつ首都圏、阪神圏の三次救急病院に偏在しているとされています。救急医が足らない現状であるから、この病院の担当医が救急専門医でない事は「全国的な事情」とある程度理解しています。それでも担当したからには救急専門医と同等の能力、責任を負うのが当然であるとしています。そうなると救急病院の担当医は救急専門医であろうが無かろうが、救急専門医と同等の能力が必須条件とされ、救急専門医が救える可能性のあるものを今回の事件のように救えなかったならば、これは犯罪的行為であるとなります。

実際に、頭から足の先まで手を下すことのできるようなスーパーマン医師が毎日当直しているか、複数の医師の待機によってそれが可能になる病院が、国内でいくつあるのか疑問です。どこかにはあるのかも知れませんが、僕はその要件を完全に満たす病院を、具体的には一つたりとも知りません。
 判決文でも認めているように、

が国では年間約2千万人の救急患者が全国の病院を受診するのに対し,日本救急医学会によって認定された救急認定医は2千人程度(平成5年当時)にすぎず,救急認定医が全ての救急患者を診療することは現実には不可能である

わけで、かといって各地に救急体制が無いと困るから、次善の策として

救急専門医ではない外科や脳外科などの各診療科医師の手によって支えられているのが,我が国の救急医療の現実であること,本件病院が2次救急医療機関として,救急専門医ではない各診療科医師による救急医療体制をとっていたのは,全国的に共通の事情によるものである

のです。その中で、可及的な治療を行おうと、僕らはそれなりに懸命に働いているわけだし、少なくとも数年前までは、患者さんの側にも「夜間・救急に完璧な診療は難しい。診てもらえるだけでもありがたい」という暗黙の了解あったように思います。研修制度義務化以前、研修医の一人当直というのも当然のように行われていましたし、実際に、僕も研修医時代、僻地の公的な病院で、頻回に外科の一人当直をおこないました。
 僕は主に「おなか」を専門とする医者でして、心嚢穿刺なんてできないし、心エコーで病変を確実に評価するのも多分無理です。そんななか、今週もあちこちの救急病院で当直しているわけですが、怖くてたまりません。
 2次救急といったって、大都市以外の二次救急ってのは、常勤医が院長一人くらいしかいなくて、病棟に看護師が二人くらいだけ夜勤していて、バイトの若い医者が日替わりで当直に来て、基本的にレントゲン技師とか検査技師はいないとか、そんな病院が数多いわけです。非常に薄っぺらな「2次」という表現。
 今後、なるべく医療の負の話題は避けていこうかなと思い、気持ちを新たに初心にかえって救急外来に出ていこうと思いながらも、やはり得も言われぬ恐怖感に支配されます。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060315#p3
 上記のエントリで、救急の問い合わせに対して、その患者さんに他の選択枝があるのであれば、明らかに専門外であるとか、求める検査や投薬が不能な病院の受診依頼を受けるのは賢くないやり方だ、ということを書きましたが、この判例では、そもそもそういった「専門外」ということは一切通用せず、とにかく救急当直している医者は、なんでも診られて、なんでも治せて然るべきである、と言っているのです。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060220#p1
 夜中に善意で開けているイタリア料理店で、客の求める完璧なチャーハンが出せないのは違法だ、ということを言われているような、強い違和感と、激しい恐怖感を抱えながら、僕は今日も当直しています。