宇和島・病気腎移植

 たまたま僕の巡回先には無いというだけのことかも知れませんが、愛媛県宇和島徳洲会病院の腎移植問題について、医師が言及するエントリをあまり見かけません。福島・大野病院や奈良・大淀病院の件とは対照的です。
 おそらく多くの医師が、宇和島の件に関しては「コメントするまでもなく、擁護する理由がない」ためにとくに声をあげていないというだけのことだと思います。また、まだまだ大淀病院関連のエントリが熱いので、そちらまで手がまわらないということもあるのでしょう。この件に関しては、報道の裏をどう考えてみても、やはり病院の側に大きな問題があるという理解でよろしいでしょうか。少なくとも、僕は、どう転んでも「患者が望むから」の一言では片づけられない大きな問題を孕んでいると考えています。

病気の腎臓を移植、11件…宇和島徳洲会・万波医師

http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20061103p201.htm

 臓器売買事件の舞台になった宇和島徳洲会病院愛媛県宇和島市)は2日、過去に実施した生体腎移植で、病気のため摘出した腎臓を別の患者に移植したケースが11件あったという調査結果を発表した。関係者によると、これらの腎臓は良性腫瘍(しゅよう)や動脈瘤(りゅう)などの病気で、ほとんどは親族以外への移植だったという。これらの移植は、安全性に疑問があるうえ、日本移植学会の倫理指針の手順に違反する。全移植を執刀した泌尿器科部長の万波誠医師(66)の「過去の生体腎移植はすべて親族間」という説明も虚偽だったことになり、改めて大きな問題になりそうだ。

 ただ、こういう件に関しても、医師の側からはっきりと意志表示をしておかないと、一般の目には「とにかく身内をかばうだけで、都合の悪いことにはコメントしない」ととられてしまう可能性があると思います。当然、我々も医療の現場に全く警察を入れないというのはあり得ないと考えてはいます。事件性のあるもの、犯罪性のあるものに関しては、警察というプロに委ねることは当然です。我々が今問題にしているのは、懸命の治療の結果としての不幸な転帰に対して不当に警察が入ってきたり、門外漢が勝手に判断するということであって、あきらかな悪意や、倫理の逸脱という事は当然除外しているのです。最近の報道や世論では、どうも、そのあたりがごっちゃにされているような気がするのです。
 実のところ、じゃあどこまでが「正当な・倫理的な移植」なのか、と言われると、非常に難しい問題だと思います。自分自身も、消化器外科を専門としていますので、時に肝移植というものに関わる機会もあります。ただ、個人的見解として、僕は「生体移植」というものに、釈然としないものを感じています。完全に安全な手術というものがあり得ないということを知っているからこそ、それが誰かを救うことになるとは言え、健康体にメスを入れるという行為に疑問を感じ続けています。そういう意味では、脳死判定が適切になされることが前提ですが、脳死移植にはむしろ抵抗がありません。
 脳死については、まだ学生の頃にその思いを綴ったことがありました。
http://homepage1.nifty.com/zaw/z/egg/07.html
 ただ、健康体にメスを入れることを避けたいという観点は、「病気として摘出した腎臓が、リスクがあるとは言え、他人を救う方法として使えるから使っただけだ」という宇和島泌尿器科医の主張に通ずるものが無くは無いので、いろんな問題をクリアすれば、必ずしも否定されるものではないのかも知れません。

病気腎移植「いい考え」“チーム”の西医師擁護

http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20061106ik07.htm

 宇和島徳洲会病院愛媛県宇和島市)での病気腎臓移植問題で、初期がんの患者2人から摘出した腎臓を万波(まんなみ)誠医師(66)に渡していたことを4日の会見で明らかにした香川労災病院泌尿器科部長の西光雄医師(58)は、「(脳死、生体腎に次ぐ)第3の臓器移植として広がっていけばいいと感じた」と述べ、病気腎の移植を先進的な取り組みとして、万波医師の行為を擁護した。

 ただ、今回は、事件の発覚の発端に、病院が直接かかわっているという証拠は現在のところありませんが「臓器売買」という問題があったこと、ドナー(臓器提供者)・レシピエント(移植を受ける方)への適切な説明と同意の確認が疑わしいこと、当初から移植を念頭においたため、不要な腎摘出や、不適切な術式が採用された可能性が高いことなど、問題だらけであり、医師の「患者のため」という主張は受け入れがたいものでした。

【善意の値段 宇和島・臓器売買事件】

http://www.ehime-np.co.jp/rensai/zokibaibai/ren101200610227159.html
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/zokibaibai/ren101200610237163.html
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/zokibaibai/ren101200610247173.html
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/zokibaibai/ren101200610257180.html
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/zokibaibai/ren101200610267194.html

 二月初めの夜、宿直体制の県警本部に一本の電話がかかった。女性の声。「知人に頼まれて腎臓を提供した。なのに貸していた金すら返してくれない」。全国初摘発となる臓器売買事件の端緒だった。それから約八カ月。十月一日、事件は表面化し、二十一日、臓器移植法違反罪で三人が起訴(うち一人は略式起訴)された。事件は三人の「罪」にとどまらず、人の善意の上に成り立つ移植医療の根幹をも揺さぶる。地方都市・宇和島震源地となった事件の衝撃と波紋を追う。

 もともと、現在「正当に」行われている移植にしても、倫理への統一した答えというものはなく、非常にデリケートな問題です。ただ、個人の感情とは別として、現在「正当に」行われている移植医療を望む人がいて、それが可能なのであれば、それが行われてもよいと思っています。僕の個人的感情として、「行われるのがよい」とは言い切れないものがあるのですが。
 これは、非常にデリケートな部分ですから、やはり「ルール」を遵守する必要があるべきなのです。これを、独自の理論で踏み越えてしまったことによって、現行の全ての移植に疑惑の目が注がれ、正当な移植の遂行も難しくなってしまうかも知れません。もし、宇和島の医師が本心から「患者のため」の移植を行っていたのだとすれば、今回ルールを踏み越えたことで、かえって移植医療を縮小させるという、本末転倒な結果に繋がって行きます。
 ちなみに、ここで言うルールとは、日本移植学会の生体腎移植に関する倫理指針のことで、「原則ドナーを血縁者または家族に限定・親族間以外の移植については規定を設け、倫理委員会で承認を得ること」としています。法的規制ではありませんけれど、意識すべきルールだと思います。
 後で気が向いたらもう少し書くかも知れませんが、とりあえず、医者が無差別に同業者を擁護するわけではないという意思表示として、このエントリをあげておきます。
 追記。移植に対しては複雑な思いがあり、この件に関しても、簡単に白黒はっきりつく問題ではないのです。そういう意味では「医者が無差別に同業者を擁護するわけではないという意思表示」という表現はあまり適切ではなかったかも知れません。この件に関して、少し追記してみました。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20061108#p2
 余計何が言いたいのかわからなくなっているような気もしますが。