宇和島・病気腎移植2

http://d.hatena.ne.jp/zaw/20061106#p1
 昨日書いた宇和島の件の追記というかなんというか。僕自身、

 ただ、健康体にメスを入れることを避けたいという観点は、「病気として摘出した腎臓が、リスクがあるとは言え、他人を救う方法として使えるから使っただけだ」という宇和島泌尿器科医の主張に通ずるものが無くは無いので、いろんな問題をクリアすれば、必ずしも否定されるものではないのかも知れません。

と書いたように、また、移植を待ち望みながら、ドナーの数が少なすぎるという現状を鑑みて、必ずしもその方法論を否定はできないと思うのです。しかし、あくまでもそれは可能性であって、やはりやや無謀。「少しの可能性があれば、それにかけてみよう」というのは美談だし、今回の件も、「世間の批判にも屈せず、重い腎臓病に苦しむヒロインが「病気腎移植」によって救われる」とか言うドラマだったら無批判に感動する人が少なからずいるような気もします(無論ファンタジーの世界として)。
 しかし、どこからが無謀なのか、どこからが人体実験なのか、ということになるとかなり難しい議論になってきます。病気腎移植という方法は僕の生体移植に対する違和感「健康体にメスを入れる」ことも避けられるわけで、熟練した腕を持っていたと言われる万波医師にとって、そのいらない腎臓を移植に使うのは、種々のリスクを踏まえた上でなお、自分の信念に基づく、ある意味で理想的な医師の行為そのものだったのかも知れません。
 昨日のエントリに「万波医師は術者としては超一流、功名心やお金には興味のない純粋な人物であるそうです。患者側から批判の声が聞かれないのはそのためでしょうか」というようなコメントを頂きましたが、その通りであったのかも知れません。
 そういったことを踏まえてなお、僕は移植という領域には慎重であるべきという姿勢です。コメントに対する返信を、ここに再掲しておきます。

 そうですね、腕はよかったようですし、噂の通り、文字通り「患者のため」というまっすぐな意識だったのかも知れません。それでもなお、現行の正当な移植ですら議論のあるところなのですから、それを後退させるような、「独自の判断」のみによる強行というのはまずいのだろうな、と思うのです。報道されているような、書類の上での同意の有無とか、そんなことはどうでもよいです。また、移植以外の分野で、ある程度現行の有名無実の取り決めや、数の暴力とも言えるEBMに逆らうような治療もありかとは思うのですが、こと移植に関しては、ルールに則るべきであるというのが、僕の見解です。
 移植を受けた側にしてみれば、なかなかみつからないドナーという現状がある以上、将来的なトラブル(病気腎による)のリスク云々よりも、まずは移植を受けたいという思いが強いのだとは思うし、それに対し、現在のタブーを踏み込めてまで手術を決行してくれた医師は、感謝こそすれ批判すべき対象ではないのでしょう。また、移植による大きなトラブルは起きていないのでしょう。

 ちなみに、刑事罰に相当するような行為かと言われると、そんなことはないとは思います。
 病気腎移植に関する様々な思い。下記のエントリもご一読を。後の二つは医学生のものであるようです。
http://d.hatena.ne.jp/Nylon/20061108#p1
http://usmletoer.exblog.jp/4509772#4509772_1
http://blogs.yahoo.co.jp/sisyphe_dans_le_mythe/43554084.html

 追記。昨日の「この件に関しては、報道の裏をどう考えてみても、やはり病院の側に大きな問題があるという理解でよろしいでしょうか」という問いかけから、医者の側から、移植自体を擁護するような方向での意見(ちょうど上記の医学生のエントリのような内容)が出ないかな、と思っていたのですが、今のところあんまりないですね。あと、「医者が無差別に同業者を擁護するわけではないという意思表示」という表現は、昨日のエントリにあんまりふさわしくないかなという気がしていますが、今さら消すのもなんなので、一応そのままにしておきます。

 もう一つ追記。「メスよ輝け!!」というマンガがあるのですが、そこで主人公の外科医「当麻鉄彦」が、学会がさしたる根拠もないまま、施設の大きさや症例数だけで移植手術の適応について指針をつくろうとしているところに食ってかかるシーンがあります。
 ややネタバレになりますが、当麻医師は、学会指針からははずれる施設で、肝移植を敢行します。学会の求める「倫理委員会」も、「意味のない形式的なもの」と意に介さず、独自の信念と、確実な技術のもとに手術を行います。最終的に、やはりいろんな批判にもさらされ、別天地を求めることになるのですが、全体のトーンとしては、移植医療への期待、学会などの指針の無意味さ、「患者のため」の医療、ということをテーマとし、当麻医師をヒーローとして描きます。
 このマンガは、高山路爛(本名 大鐘稔彦)という外科医が原作であり、大鐘医師の体験や思想が盛り込まれています。また、「肝移植研究会」に絡んで描かれる医師たちが、あまりにも現実の状況に重ねて描かれているように感じられるなど、非常にドロ臭いマンガで、作者の思想全体に対し、手放しに賞賛するという気分にはなれないのですが、多々考えさせられる点があります。
 僕がこのマンガを読んだのは、医学部高学年の頃だと記憶していますが、この場面においても「形式的なもの」であっても、足元を救われないように、「倫理委員会」などの手順を踏むことくらいはするべきだと感じたのでした。マンガの中で、学会の定める倫理規定などにおいては、完全に無視というわけでなく、学会に出席し「その倫理規定はおかしい」とはっきりと意思表示をした上で、後日手術に臨んでおり、そういう方向性はありだと思います。医療の全てが厳密なルールに当てはまらないと思っているというのは、前述の通りですので。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B9%E3%82%88%E8%BC%9D%E3%81%91!!
 病気腎移植という方法が適当なものなのかどうか、正直現在ではわかっていないわけで、その行為自体は頭ごなしの否定ではなく、冷静な評価が必要だと思います。結局は、そうして現行の医療から足を踏み出す部分がないと、医療の進歩というのは無いわけですから。人体実験といえば人体実験。医療とは、多かれ少なかれ、人体実験が現在進行形で行われているものです。
 こうして無駄に長い文章になるのは、僕の移植に対する複雑な思いそのままです。わからないからこそ「慎重を期すべき」なのか、「とりあえずやってみる」べきなのか。根本的には、各々の考え方の違いだと思います。