医師育成に一億円

 twitterで過去に呟いたりしたもののサルベージとして。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20120211#p1

 僕の挨拶の段で、「偉大な先人達が外科学を切り開いてきたこと、この場におられる先輩方が、自己犠牲と奉仕の精神で、文字通り寝る間も惜しんで臨床に研究に取り組んできたことは尊敬に値します。しかしながら、外科に興味があり、人並みに仕事もできるにも関わらず、『体力が無い』なんて言わなくてはいけないような研修医を出して、昔ながらの滅私奉公的システムを改善しようとも思わずに、ただただ外科離れを嘆いているような現状は愚かしいことだと思います。僕の世代のやるべきことは、根本的にシステムを見つめ直して、それこそ少しばかり体力が無くてもそれはそれで働けるような外科の労働環境を整備することだと確信しています。それが出来なければ、この業界に未来は無いと思います。現状、特に大学にいると、外科の仕事以外に自分の時間をつくることが非常に難しいです。僕にとって友人と会う約束がし難いというのは何物にもかえがたい苦痛です。また、広い世界の外科や医療以外の様々なことに触れるというのは非常に大切なことで、人と会ったり、世界をみたり、医学医療以外の本を読んだりという時間、何もしない休息の時間、休みの日に休むことに気をつかわなくていいような環境というのは、医師自身の心の健康のためにも重要なことです。教授のおっしゃるように『人生は一度』だからこそ、僕は病院だけに時間を使いたくはありません」という思いを述べました。

 教授はそれを受けて「全くその通りだと思うよ。世界を知ることは大切。でもね、睡眠時間四時間でも本を読む時間はつくれるんよ」と。そういうことを言っているんじゃないんだけどな、と、毎回肩透かしを食うのです。

 外科医の減少を憂う、何とか対策を、と真面目な顔して学会のセッションにも取り上げたりする一方で、自分たちのこれまでを美談にし、言外の圧力で今の世代にもそれを求めているんですよね。
 例えば医局の同門会誌とか、外科の歴史をまとめたような本であるとか、偉大な大先輩の逝去に伴いまとめられた回顧録などには、睡眠時間や他のことを全て犠牲にして臨床なり研究に没頭した「美談」が踊っています。それはそれで素晴らしいことには違いないとは思うのですけれども、僕にはそれが唯一の正しい形だとは全く思えないのです。しかしながら、彼らにとってそれは唯一の正解であって、なんとなくその価値観を押し売りされ続けているのです。
 若者が労働時間を気にせずに仕事に没頭するような環境が必要とか、何事にも辛い修行の時期が必要で、全てをそれだけに注ぐことが大切だとか、まあ一理はあるかも知れないけど、多分一理しかないのではないか。それと並行して動いているいろいろな大切なことにも時間を割く自由はあるべきだと思うのです。
 医師が医療に全てを捧げるような生き方をすべきだということの理由に、「医師の育成のためには税金がおよそ一億円ほど投入されている」という根拠不明の言説がよくあげられます。科学的な話にはそれ相応の裏付けを、なんて偉そうに講釈している医療界の重鎮たちが、こんな都市伝説(?)に、裏付けを調べることなく踊らされているのも滑稽だと思っています。
 医学部100人定員の大学で、6学年600人。それぞれに6年間で一億円税金がつぎ込まれているとすれば、6年間で600億円、年間100億円が一つの大学医学部につぎ込まれている計算になるわけですが、そんな国家予算が組まれているなんて聞いたことが無いので、昔から疑問に思っていました。
 また、仮に相応の税金が投入されていたとしても、全てを医学に捧げる義務が生じるなんていうのは馬鹿げた話です。こうした教育を受ける権利は、一応国民全てに平等に与えられており、それなりに努力し、難関の試験などを乗り越えて医学部に入学し、医師として働いているという時点で、誰に責められることもないように思いますし、教育に税金が投入されているのは別に医学部に限った話でもありません。
 また、下品な物言いをすれば、投入されたのに等しい税金を、医師の多くは一生のうちに納めているのではないかとも思うのです。
 下記の記事が、一億円の都市伝説について詳しかったです。

医師育成に一人一億円の税金がかかる、という都市伝説

http://ameblo.jp/doctor-d-2007/entry-10033761818.html