近況

 予定よりだいぶ早く一時帰国しております。現地の治安の関係から、交代でこまめに国外脱出するという態勢をとっている影響です。現地では防弾車での集団出・退勤、外出のできない籠城生活です。まあ、ある程度覚悟の上で赴任していますし、海外生活初めてで他を知らない関係上、それでも普通に生活しておりましたし、幸い職場の方々はみな明るくいい人ばかりなので、大きなストレスを感じずにすんでおりました。でも、「日本の安全と自由を見て来ちゃったら、もう後は国外脱出のことしか考えられなくなりますよ」と言って送り出されたのでした。
 やはり日本って超快適。しかしながら、その快適だな、と思う基準が、「外歩いてても撃たれない。水道水が飲める。滅多に停電しない。ネット回線が早い」というかなり低レベルなものに。あまり環境の良くない海外生活が長い同僚は、日本に帰るたびに、「米うまい! コンビニにお茶だけで何種類もある! 果物超うまい!」とか感動しまくって、日本の友人に可哀想な人をみるような目で見つめられたとか。
 さて、医学用語とか、そういった特殊なものを除けば、おそらく僕の英語力のピークは高校時代くらいと思われます。ただし、文法とか滅茶苦茶でも大意が伝われば良し、という度胸に関しては確実に高校時代より今のほうが上で、少なくとも海外旅行レベルはそれで乗り切って来ました。
 現在、外に出ないこともあってアラビア語を必要とすることはほとんど無く、現地職員とのコミュニケーションは基本的には英語ですが、彼らが流暢な英語を使うのに対し、こちらはほぼ勢いだけのやっつけ英語。まあなんとかコミュニケーションや診療は成り立っている(と思う)のですが、わざわざ海外に働きに出てきてそのレベルでいいんだろうかと自責の念にかられることはしばしば。
 英語の他、流暢なアラビア語を使いこなす同僚や上司の方々と、「語学を習得する過程では、語学に付随する文化背景についての影響を色濃く受けていき、その文化を支持する立場になりやすい」といった話をしていて、それはとてもよくわかるお話しなのですが、自分が文化ごと身に付けるレベルまで習得した第二言語というものが無いので、実感として理解したものではありません。
 あんなに何年も受けた英語教育や、僅かな期間ではあったけれども、かなり高度な文法表現まで一度は学んだドイツ語、旅行の行く先々で使った片言の言語(たいていは、ビールくださいとトイレどこですかくらいしか覚えてない)、少なくとも数年は勤務することになるであろうアラビア語文化圏、なにかしらもう少し深く学んで身につけられればいいのですが。
 何にでも首を突っ込むけど、多少の形になった時点で十分満足し、ある一定以上の努力の継続ができないという致命的な欠陥をなんら修復しないまま三十数年の人生を歩んで参りましたが、語学に関しては努力の継続を検討してもいいかなと思える数少ないものの一つですので、籠城生活で時間がたくさんあることも踏まえ、ちょっと本格的に検討してみます。来週また任地へ戻ります。