「患者取り違えとか部活と勉強とか」-0049-

 一応日記でも触れておいたほうがいいだろうか。横浜市立大病院での患者取り違え事件。健康な肺と健康な心臓が手術されてしまった。取り違えというのは本当に怖い。薬やガスの取り違えなんて、ちょっと見ただけでは全く分からないから怖い。麻酔ガスなんかは、間違えがないように、ピンの形を変えて、接続を間違わないようにする工夫がされている。で、患者自体の取り違えである。顔がある患者の取り違えという事件だけに、衝撃は大きい。思うところはいろいろあるが…機会があればコメントしたい。

 ところで、同級生は、みんな結構試験勉強を本格的にはじめているみたいだ。実は1/23にジャズ研の引退ライブなんてものがあるので、そんなことも計算に入れて、そろそろ勉強を開始しなくてはならないのかも知れない。今日の夕方から夜は、ジャズ研部室で過ごしてしまった。

 明日は、矢渡しの練習をする。執行部を交代してしばらくたつが、この矢渡しについては下にきちんと教えてなかったので、この機会に指導する。教養のキャンパスの広い弓道場で練習したかったのだが、センター試験の関係で、キャンパス内に入れないらしい。

 この「矢渡し」だが、射手(いて)、及び第一介添え、第二介添えの三名で行う、礼射である。主に、試合の主催者が、開会式の後行う。それに対し、優勝者には、試合終了後に「納射」を行う権利が与えられる。この「納射」はいわば優勝パレードのような晴れ舞台だ。私は、一度だけこの納射の機会が与えられた。まあ、二大学の対抗戦だったのだが、それでも格別だった。大きな試合で納射を行うことは、みんなの憧れでもある。

 テストの足音が聞こえるこんな時期、部活と勉強の兼ね合いってのもある。部活と勉強の両立だなんて、まるで中学生か高校生か。そういえば、昔、大学の合格体験みたいなものを、高校の先生から依頼されて書いたことがある。いわゆる、英語はどういうふうに勉強したか、数学はどういうふうに…みたいなのを求めていたことは私にもよく分かったのだが、推薦入試という特殊形態の合格だし、そういうマニュアルっぽいのは書けませんよ、と事前に言ったのだ。でも、その推薦に対する心構えみたいなのを書いて欲しいとのことだったので、自分のことを正直に書いた。

 ところが、「1日10時間勉強すればいいってわけじゃない」とかいう表現が気に障ったらしく、依頼原稿のくせに突っ返してきやがった。そんなわけで、そのニュアンスは全くかえずに、学校の先生が気に入るような文体で書き直して差し上げたら、「どうもありがとう」だとさ。突っ返された時点で、「こういう表現だと、読む人のレベルを考えると誤解を招く恐れがある。学校がこれを受験生に対する先輩のアドバイスとして発行してることを考えて欲しい」みたいなことを言われたのだが、だったら最初から、先生の言うなりな模範的優等生、模範的コツコツ勉強家に依頼すれば良かったんじゃないのかと思った。後日、発行されたものをもらったら、やっぱり私以外は、英語はこの参考書が良かった…的なことを書いていた。だから、そういうのは書けないって最初に言ったのに。だいたい依頼原稿のくせに突っ返すという時点で、私はかなりヘソを曲げたのだが。

 比べるのは良くないのかもしれないが、現在通う大学のある県の、まあ、優秀な進学校の同様のものを見せてもらったが、「授業中は寝てたりしましたが…」とか、「この授業はきかないで別の勉強をしろ」とかいう類のものも、特にお咎めなしに掲載されていた。そこからの情報の取捨選択は個人の責任のように思える。まあ、「授業は無駄」的な記載は、極端かも知れないが。先生の進路相談じゃなくて、先輩から後輩へのメッセージという意味なら、私は個人的に無益な検閲はいらない気がする。

 依頼原稿とは別に、受験内容についてのデータとして、進路指導室へ残してきたものにも、「試験会場では、まわりに威圧されるのではなく威圧するために、普段から難しそうな本でも持ち歩くと、賢くなったような気になれるかも知れない」とか書いてきたんだけどね。ちゃんと出題内容とかも残して来たよ、もちろん。

 実は、小学生くらいまで、漠然とした将来の夢に学校の先生ってのがあったのだが、いつの頃からか、学校の先生にだけはなりたくないと思ってしまった。これは別に学校や先生に対する反発とかじゃなくて。なんか、俺にはできない気がした。…そういえば、ガラスのような少年期の僕の心をずたずたにしたのは、家族でも友人でもいじめでも無くて、いまのうのうと教頭なんてやってるらしい、ある教師だった。確かに、彼の存在が、教師を聖職者と見ていた感のある私の考えを根本からぐらつかせたということはあるのかも知れない。

 わりと真っ直ぐな子でした、僕は。ホントに融通がきかない子でした。ただ、あのころの怖いもののない純真な真っ直ぐさを、今の私は失ってしまったのは確かです。