「先達はあらまほしきものなり」-0070-

 先達はあらまほしきものなり。46億年の知恵と進化の賜物が我々であり、遺伝子としてその全てを受け継いで来て、さらに、親から子へ、親方から弟子へ、師から弟子へと受け継ぐものの数々。こと医学の世界でも然り。先人達の努力の全てを、惜しみなく与えてくれたおかげで、今日の技術がある。

 すなわち、先人に背中をポンと押してもらうことは当然意識しているし、コンパスが方向を指し示してくれることも多々あるだろうが、それでも、大通りを歩く限りは、そこから先には進めないのだ。押してもらうのは背中がいい。先人達が常に目の前にいて、ずっと手を引いてくれる限り、道はどこにも通じないと思う。

 あるいは、先人の示さない道や、コンパスが示さない方向へ歩いてみるのもそれはそれでいいと思う。そっちに何もなかったとしても、それはそれでいい。別に自分が天啓を受けるその人だとは言わないが、いまだ、誰かの知識を教科書で学んでいるに過ぎない学生である我々には、限りない可能性があるはずだし、若者は常に夢見る生き物だ。特急列車に乗ってしまうのはまだ早い。

 こんな恥ずかしい日記を書いてしまう自分というのも嫌だが、それもこれも演劇人のなせるわざか。そう言えば、明日は産婦人科のテストだが、今や、他科では、どうしても、大学病院の性質上、重症患者が多く、亡くなる方を見つめるのに対し、命の芽生える明るい科である産科だが、結局、お産が安全になったのもここ100年ほどの間のことだ。1850年に、産婦が死んでしまう原因を感染だと主張したSemmelweissというウィーン大学の助手の論文は15年も受け入れられず、その間を精神病院で過ごしたという。しかも、その後、解剖の講義中に、手を切って感染で死んでしまったというのだから、何か悲惨だよね。