「21世紀」-0122-

 重い腰をどうにかあげて、脳外の実習が始まる。昨日は、実習後、ジャズ研の新歓。1年生がすべて帰ったあとに、新歓なのに気付けば4年と5年しかいないカラオケ。JOY SOUNDには椎名林檎が入ってる。軽音とかジャズ研でカラオケに行くと、歌詞じゃなくてギターとかベースとかのフレーズのほうを覚えている人が割と多くて、通信カラオケにありがちな、端折られたギターソロを、完璧に再現したりして。

 昨日は大丈夫だと思っていたのに、やっぱり今日は眠くて仕方ない。春のうららかな日中に、窓の外に山並みが仰ぎ、脳のCT画像みてたら瞼が重くなった。今日の実習は赤十字病院。午後の血管造影は結局中止。月曜は午後のオペが中止になったりしたのだが、うちの班、運がいいのか悪いのか。

 我々は、順調に行けば2001年3月卒業で、21世紀最初の医師国家試験を受けることになるのだが、だいぶ前から、この2001年が大改革の年だと言われていた。プライマリケアだとか、なんだか医師に的確な人格かどうかを問うような内容にするという具体的な話は最近出てきたものだが。10%削減ということを、某教授は、結局合格ラインぎりぎりに乗っている人がほとんどをしめる大学というのが現に存在し、ほんの数点のシフトで、結局合格者は確実に減るとかいうことを言っていたが、要は相対的評価だから、ラインがどうこういうのはあまり問題ではないかも知れない。ただ、そういった集団が、本当に、「大学」という単位であるとすれば、その大学は結局、さらに「国試予備校」といったシステムを強化するのだろうか。それとも、全人的医療というテーマに真剣に取り組むのか。

 人格云々言ってみても、客観評価のテストには、どうせうわっぺらだけつきあっていけばすむことで、そんなものまで評価なんてできないってことは、専門家たちだってどうせ気付いているに違いない。気付いているけれど、それでもそういったテーマを試験改革に盛り込まざるを得ない社会環境があるわけだ。

 法学部の学生が、みんな司法試験を受けるわけでなく、みんなが弁護士になるわけではないのとは大きく異なり、ほぼ将来の道が決定されている医学部学生は、いろんなイメージを包括した「医学生」という肩書きに身をあずけて、他の大学とは様相を異にする「国試予備校」でせっせと知識を塗り固める。「暗記はテスト前にはしなくちゃいけない。覚えることは確かにある。ただ、医学を学ぶということはそういうことではない。素直な思考を身につけなさい」なんて言われてみれば、それはそうだと納得するが、アフターファイブに思いを寄せる学生たちにそこまで出来るのか。確かに、人の命を預かる大切な職業ではあるが、医学を学ぶものが、自己を全て犠牲にして、全てを他人の幸せのために捧げなければならないのか。僕はカムパネルラのような心境にはなれないし、あの蠍のように僕の体を100ぺんどころか、1度だって焼かずに済ませたいと思うエゴの中に生きるのです。