「ナルコレプシー」-0433-

 体調の悪い朝もあります。それでもいつもの時間に起き抜けて、いつものように動脈血採血してみたり、いつものように回診についたりしなければなりません。なんとなく気分が優れないような時に限って、やっかいごとが発生したり、思いもかけないようなことをオーベン(指導医)にきかれたりするんです。

 大学病院などは特殊な場所であって、一般病院の多くない医師たちは、朝一番から手術室に籠もるわけにもいかず、外来だとか回診だとか、あるいは検査なんかをこなした上で、午後くらいに手術が始まる場合が多いようです。僕の勤務する病院でも、月水金の手術日の、一般的な入室時刻は12:50なのですが、今日のように、大きな手術が数件はいるような場合は、常勤ではない麻酔医に事前に連絡して、早めにはじめることもあるのです。

 10:30入室という設定は、すなわち回診と指示出し、処方をハイスピードで片づけて、そのまま手術室に入らなければならないことを意味します。当然のようにその手術は夕方、あるいは夜まで続くわけで、普通にしていたら食事なんてできません。10:20くらいに病棟業務を片付け、水曜日の日勤に大学からバイトで来ている外科医一年生と一緒に売店経由で更衣室へ走り、着替えながらおにぎりを平らげるような技術は、僕の体力維持には必須のことで、普通に着替えて手術室入りするような流れの中で食事をすませてしまった僕を、後輩医師はまだ開けていないおにぎりのパックとペットボトルを手に、少々驚いたように見ていましたが、周りに言わせれば、僕はちょっとくらい食事を抜いて、やせた方がいいのかも知れません。でも空腹とか、体調不良とか、僕自身が満たされていないときは、十分に他人に優しくできるような気がしないのです。身を削り続けて献身的な医療が達成出来る人がいたら、尊敬に値しますが、大多数の小市民たちは、削った身を補いながらじゃなければ、仕事を全う出来ないのではないかと思うのです。

 不謹慎かも知れないし、ぞっとする人もいるかも知れないのですけれど、僕ら研修医は、手術中など、猛烈な眠気におそわれることがしばしばです。自分の体や頭を動かしている間は大丈夫なのですが、基本的にずっと蓄積している疲れは、鉤引きをし続けるだとか、術野が見えないだとか、床屋の椅子に座るだとか、その動きを止めた刹那、僕らの意識をどこかにとばすのです。

 寝てはいけないという強い思いよりもさらに強烈な眠気は、術野を確かに目にしたまま、全く別の思考を展開し始めたり、ひどいときは術野が人の顔に見えたり、どこかの風景に見えたり、自分は確かに目を覚まして手術に参加しているはずなのに、おそらく数秒とかいう単位で意識を夢の世界へ送り、時に膝の力が抜けたりして、上級医に怒られるのです。怒られるまでもなく、僕はそれを反省しているはずなのに、その反省を許さないかのようにおそいかかる睡魔は、僕はナルコレプシーなのではないかと思わせるのに十分なのです。自分の意志に反して、耐え難い眠気が襲いかかるというナルコレプシー。立ち止まって数秒たつと眠りこけそうになる僕は、本当に「疲れ」だけで片付けられる状態なのでしょうか。

 ただ、この自分がナルコレプシーなのではないかということを考えてしまうという人は、ポリクリ(臨床実習)の始まった学生から、いままさに働いている医師たちまで、結構な数いるようなのです。これはみんな疲れているだけなのか、みんながナルコレプシーになってしまったのか、微妙な気もします。「医師の多くが睡眠障害者だと睡眠学会が発表」とかいう記事が、最近の新聞にも載っていました。

 手術時間というのは実際はふたをあけてみないと分からないことが多くて、単純な胃切除のはずなのに、癒着がもの凄かったとか、すでに治癒切除できる状態じゃなかったとか、術前診断で分からなかったことにいろいろ遭遇します。僕も今まで、お腹を開けたけれど癌を切れなかった症例に何度か巡りあいました。外科医にとって外科手術というのはかなりの切り札であって、気合いを入れた症例がそういうことになってしまうとやりきれないものですが、患者さんはもっとやりきれないのだろうと思います。一日に二件とか三件とか手術すると、いろんな人生に大きく関わることになるわけで、睡魔なんかにおそわれている場合じゃないのです。