「僕の居場所」-0432-

 人間には居場所が必要なのです。

 いつだったか、かつての同級生や、音楽つながりの人々と酒を飲んでいた時に、うちの学年でつくった名簿が出てきました。ある方が、「私はこんな名簿をつくって連絡をとりたいと思う人はいない。出来ることなら連絡を絶ちたい」というようなことを言いだして、そこにいた誰かがそれに同意していたような記憶があります。ただ僕は、また別の誰かと、「こういう話題は辛いよね」とか話したのでした。

 僕はそんなに強い人間じゃないから、手っ取り早く自分の居場所を確認させてくれる、組織とか団体とかが結構好きなのかも知れないと思うのです。もちろん、自分が望んで飛び込んでいったような団体に限るわけですが、そこで出会った個人とのつきあいはもちろん、そのかつて僕の居場所だったところをとても大切に思うようなのです。

 中でも高校時代の「演劇」という居場所とか、大学での「音楽」という居場所は、僕がきっとずっと捨てられないものなのだと思うのです。しばらく途絶えていた人物から不意に連絡があったり、インターネット上にかつての仲間がいまだに芝居を演っているのをみつければ、はっきりと「演劇」を感じるのだし、七夕に思い出すのは織姫でも彦星でもなくて、恒例の路上ライブだったりするのは、僕がまだ「音楽」という場所にいたいという証拠なのです。

 重症患者を抱えてみたり、患者さんと衝突があったり、いろいろと大変なことはあるわけで、そのいろんなことを病院という場所で誰かと共有するのはなかなか難しいのです。純粋に同じような立場の別の誰か、すなわち今までは、新しい場所に飛び込めば必ずたくさんいた、同期という存在が無い環境は、僕の現在の生活のほとんどのウェイトを置く居場所であるにも関わらず、しがみついていたいという思い以上に、居場所の方から強引にまとわりつかれているような、なんとも言えないようなストレスがあるのです。

 時間のかわりに、お金は少し自由になってきました。

 僕は梅雨も間近という時期に、近所のバイク屋を訪ね、念願の初バイクを買いました。免許は確か3年生のときにとったので、5年越しの念願達成ということになります。当時、教習所代をひねり出したら、バイクを買うお金は残らなかったのでした。HONDAのCB400SFとかいう可愛い奴です。

 バイクにまたがって一時間ほど山を下れば、大学病院があって、その周辺には確かに僕がかつて居場所として選んだ「音楽」というものがあるのでした。去年は確か、担当患者さんが亡くなってしまったりと、とてもそれどころではなかったのですが、今年は病棟業務の間を縫って、病院からのコールを気にしながら七夕祭りに向かうことができました。例年路上ライブだったのですが、騒音だとかいろいろ問題があって、開催自体も危ぶまれたのですが、なんとか屋内に場所を確保し、土日を使って楽しんだのです。

 病院から離れるということや、2年目の外科医としてのいろんな焦り、勉強の足りなさの自覚など、いろんなうしろめたさが僕を襲ってくるのですが、その非日常と、昼から飲むビールは、うしろめたさの中でも蜜の味でした