カンファレンス

 木曜日は仕事が終わったあとに、なるべく大学へ行くようにしているのです。元はと言えば、昨春、四年という修業年限で大学院を修了できないままに大学の外の病院へ異動し、「社会人大学院生」としての生活をスタートしたこともあって、大学院にけりをつけるためにチームのカンファレンスに引き続き出席していたのです。なんとか六月に大学院を修了した今、正式には大学には何の籍も残っていないのですが、本来ならば大学病院で勤務しなければならなかったかも知れない立場にありながら、関連病院へ「逃れた」ということへの贖罪の気持ち、といえば聞こえがいいのですが、実のところ、僕なりのしたたかな医局とのつきあい方なのかも知れません。
 仕事は仕事として、あんまりプライベートな部分にまで引っ張りたくないなと思いながら、大学から離れた場所で、小さな小さなチームの中だけで仕事をしているのは寂しい感じもするのです。しかしながら、現在の労働環境のままでは、大学に戻りたいという気持ちはありません。大学医局の情勢とか、僕の専門領域の最先端知識とか、そういうことにずっとアンテナを立て続けるというのはそれなりに大変なので、適度に大学に関わるというのは、僕にとって有益な部分が大きいのです。
 前にも書いたような気もしますが、かつては市中病院と大学病院の臨床のレベルというのはさほど変わりませんでした。しかしながら、現在、少なくとも僕の関わる消化器癌治療の領域において、やはり大学やナショナルセンターでないと出来ないことがたくさんあります。労働基準法を無視した無茶苦茶な労働環境や、何事につけても腰の重い他科の医師や他の医療職との折衝など、酷い事項をたくさん抱えながら現況で大学がまだなんとか維持されているのは、別に白い巨塔のせいでも医師個人の出世や名誉のためでもなくて(そういう部分もまだあるのかも知れませんが)、不都合に目をつぶってでも最先端の医療に触れていたいという学究の思いなのではないかと思います。
 今なお、学生への講義で「お金のために働くなんて下品なことを言うな」なんて満足気に語るような教授がいるようですが、理想だけで生きていけるのは、もともと裕福な人だけで、多くの医師たちは患者さんよりもまずは自分や家族の生活を守らなければいけません。教育や研究という、金銭には換算し難い重大な使命を負った大学が、経済効率だけで語られていいわけもありません。
 現行の教育の制度が正しいのかといえばそうではない部分はもちろんたくさんあると思います。しかしながら、大学が潰れてしまえば、恐らく医学・医療は数十年分後退してしまうとも思います。国をあげて守らなければいけないはずの場所ですが、政権与党がどう考えているのかはよく分かりません。