同業者

 病院の方針で、心臓疾患以外の当直をおかなくなったので、しばらく当直無しの生活をしています。もちろん、オンコールとか待機とかいう名のボランティア拘束はあって、それについて思うことがないわけではないのですが、かつての生活に比べたら天国です。
 原則、よくわからないことを訴えて変な時間に救急外来を受診する方々に関わらなくてよいことになり、仮に夜中呼ばれたとしても、入院中の患者さんや、長く外来でみている患者さん、あるいは当直医が我々のコールを必要としたケースに限られるわけで、「コンビニ受診」だとか、患者さんからの暴言だとかいうストレスにさらされることがほぼ皆無ということになります。
 基本的に僕は外科医という仕事は大好きだし、自分が責任と誠意を持って長く接している患者さんとの間に、信頼関係が築かれていくのを実感することは大きな喜びです。以前も書いたように、僕のストレスのほとんどは、当直業務と救急外来に起因するものでした。もちろん、夜間休日の対応、救急外来という場は必要なのであるし、真の救急患者以外も、気軽に受診できるということが、真の救急患者を遅滞なく受け入れるのに大切なことなのだという意見もわからないではありません。患者さんが緊急だと感じた時、それは全て救急患者なのだというようなことを、医師の心構えとして教えられたものでした。
 年中無休の拘束と、コンビニ受診にまつわる様々なストレスに耐えられず、自分の良心とのせめぎあいの中で、サイトやメルマガに、「患者さんの側での自制や理解も必要だ」とか、「このままでは現場が疲弊して崩壊する」なんていうことを書き出したのはもう7年も前のことになります。その頃は、まだ医師の側からそういうことを言うのはタブー視される時代でした。最近では、医師が自分たちの権利を目に見える形で強く訴えるようになり、世のおかしな医療裁判や、我が儘な患者さんへの批判というようなことが、当たり前のように行われる風潮があります。それはそれで行き過ぎの面もあり、正当な権利ということを振りかざしすぎて、あまりにも品の無い発言をする医師たちには同意しかねる部分もあるのですが、今まで見えてこなかった、現場の素直な思いという部分もあると思います。
 今、当直も無く、理不尽な拘束と命令をする上司もいないという環境において、数年前には怒りとやるせなさで充ち満ちていた気持ちが相当に穏やかになっています。野戦病院という環境を抜け出しただけで、別に窓際というわけではなく、コンスタントに患者さんを診て、毎週手術もこなしているわけで、外科医としてはもちろん現役でありながら、自分もかつておかれていたような劣悪な環境から一歩離れた場所にいるだけで、「野戦病院としての」現場の気持ちというのはもう全く抱けないのです。だからこそ、ただ医師免許を持っているだけで、まるでそうした前線の医師たちの気持ちが理解できているかのように振る舞いながら、自分だけは良識ぶった発言をするという行為は、本当にやめて頂きたいと思います。全く関係のない職種の方々から、誤解と偏見に満ちた発言をされるよりも、「同業者として」いわれのない批判をされるというのは、現場の人間の心を折るのに、これ以上ないことだと思っています。
 そういえば、先日、大学医局からは、来年度の人事希望の調査用紙が送られてきました。この病院で働いていると忘れそうになりますが、僕もまた、いつまたそういう現場に戻されるともわからないのです。
 夏休みを頂きました。せっせとためたマイルを最大限に利用して、僕の最近の旅行計画にしては珍しい、やや移動の多い旅程で、アテネ→メテオラ→ミコノス島→ミュンヘン(オクトーバーフェスト)と楽しんでこようと思っています。帰国したら秋の学会の準備とか、人事希望のこととか考えることにします。