「帝王切開とか」-0435-

 実は僕、恥ずかしながら出産をみたことがなかったんですよ。学生時代から通算7年半も医学・医療の世界に過ごしながら、死にゆく人々は何人となく見つめてきながら、生命の誕生の瞬間を知らなかった僕。3年前に産婦人科ポリクリ(臨床実習)中、分娩をみるチャンスが無かったのが残念だ、とか言う僕らに「入局すれば嫌と言うほどみせてあげる」というお決まりの台詞をもらって以来、僕と産婦人科との関わりは、直腸癌の卵巣や子宮なんかへの浸潤の程度をコンサルトしたり、急性腹症の女性の、クラミジア感染を調べてもらったりとか、その程度だったんですよ。

 昨日産婦人科からコンサルトされた右下腹部痛の患者さんは、妊娠38週で、カイザー(帝王切開)の既往あり。エコーを当ててみても、大きく膨らんだお腹の中を調べるのは困難で、CTといった診断方法も、被曝のことを考えると積極的には行えません。まあ、いろいろあって、まずは、今回もカイザーにて出産し、まずは圧迫解除、その後虫垂も確認して、虫垂炎があればそれも切ろうということになったのでした。そんなわけで、僕もその手術に立ち会いました。

 ところで、どこらへんが帝王なんでしょうか。よく、この語源はローマ帝王、ジュリアス・シーザーがこの方法で産まれたからとかいわれていますが、実はこれは誤解らしいです。確かにこの帝王切開という方法は、古代ローマ時代から行われていたようです。これは母体を救うものではなく、難産の為に死んでしまった母親から、新生児を助け出す手段として発達し、後には生きた母親にも施行されるようになったと言います。当時、麻酔も消毒もなく、縫合もしなかったそうです。自然、母親が助かる事はほとんどなかったといいます。この手技が、後のドイツで、ラテン語の「切る(caesarea)」を「シーザー(カエサル)」と勘違いして、ドイツ語で「帝王(Kaiser=カイザー)」という語を当てたことによるのだそうです。

 とりあえず、無事、男児を出産し、虫垂炎も否定され、母児共に健康。

 夕方帰宅し、日付がかわるころ、当直中の副院長からコール、右下腹部痛の女性を診て欲しいとのことでした。なんかここのところ緊急手術が多く、これから診察、診断して手術すると、始まるのは午前2時頃だなと、ぼんやり考えながら病院へ駆けつけ、いろいろ診たところによると、それほどひどいものでは無さそうで、数ヶ月前に出産したばかりだというその女性は、まずは手術をしないで様子をみることとなり、朝の時点で炎症は進まず、腹痛も軽減、保存的治療で退院。日本では虫垂炎をやたらと切りまくっているという話もあるが、このありふれた病気、実は診断も手術も侮れないものなのです。僕の生まれた頃にはすでに医者をやっていたような年齢の内科医から、外科コンサルトを依頼され、僕の意見が外科の意見になる時、もてる力を全て出し切って、いつもドキドキしながら患者に臨んでいるのです。

 僕らも好き好んで、自分の体調の優れない時や、真夜中に診察なんてしたくないけれど、病気は待ってくれないし、全てが客観的データで診断基準がそろうわけでもなく、誤診の恐怖に怯えながら、診察室に向かうのです。日本では、すぐに「刑法」が飛び出してくるし、昨今の過熱した医療訴訟報道など、若い医者の単独診療なんて怖くて出来ない時代です。刑事罰を受ける可能性を抱えた診療なんてみんなしたくないわけで、この状況が進めば、ちょっとでも難しそうな患者がはらい回しにされてしまう恐れもあると思います。もちろん医の責任はあるのだけれど、僕らはいつもヘトヘトです。

 この2週間くらいはやたらと忙しくて、休み無く働き、ちょっとした行き違いから凄く嫌な思いをしたり、いつもにも増してヘトヘトだったのですけれど、今日という日は、日曜日が終わっていく寂しさを感じる必要が無いのでした。

 明日から、少し遅い夏休みをもらったので、ちょっと欲張って、スペインまで出かけて来ます。アスタラビスタ!