「ことばづかい」-0437-

 韓国には相対的な敬語の使い分けがないらしいです。父は決して申し上げず、お客様の前だろうと、お父様はおっしゃるのです。僕らは例えば自分の指導医が患者さんに話をするようなときに、「担当医が夕方伺いますので」とすんなり言えればいいのですが、「先生が」などと、その呼称自体が敬語のような呼び方で始めてしまうと「いらっしゃいます」なんて口走ってしまうことがあるんです。ある作家は、この英語にはない「敬語」を、コミュニケーションに障害になるものだと揶揄していましたが、個人的にはこうした言葉の文化は嫌いではないのです。

 テレビの普及は、標準語と呼ばれる東京弁の全国展開を可能にしたけれど、例えばそれはら抜き言葉も急速に広めるのです。受動態と尊敬語の区別には寧ろら抜きは分かりやすいという意見も多く、生き物たる言葉は、かつて発音しにくかったというだけで、「あらたしい」を「あたらしい」と読んだように、多数派の波を次世代に伝えるのでしょう。

 さて、入局当初の僕のプレゼンテーションにも多様されていたというので、学生を指導するようになってからも特に気をつけている変な言葉の文化があります。コンビニでもファミレスでも多用されているアイツは、レントゲン写真にも検査データにもくっついてくるのです。

 嚥下困難を訴え、赤十字病院のほう受診しまして、胃カメラにて門歯より30センチに腫瘍を認め、生検のほう施行し、食道癌の診断にて、当科紹介となりました。胸部レントゲンのほうでは、右下肺野に陰影を認めます。ラボデータのほうですが、貧血のほう認めません。

 お箸のほうお付けしますか、というコンビニ敬語は、どの辺が敬語なのか分からないのですが、確実に僕らを蝕み、緊張しながら使い慣れない言葉を使うときに、特に多く現れるようです。自分もちょっと前まで使っていた「ほう」が、急に耳障りになるもので、文章にすると誰の目にも目障りです。関係ないですが、昔、「消防署の方から(方向から)来ました」という消火器販売の詐欺がありましたね。

 そういえば僕らは、国語の時間に、作者に無断で勝手に登場人物の心中を探って模範解答を決めつけたりはしていたけれど、電話の応対も年輩者との会話も学ばなかったのです。もちろんそれは日常生活の中で学んで来るべきものだったのだけれど、医学部の選抜にそんなことは加味されていないのです。そして時にそれが、適切なふるいわけがされていないということのように攻撃されるのですが、それはまた見当違いな攻撃だとも思うのです。

 もちろんメスを握った医師がただ単に技術屋だったら、メスはとたんに治療の道具からただの凶器に変わることに間違いはありません。医師は科学者であり、文学者であり、哲学者であり、教育者であって始めて、普通の人が行ったら罪になるようなことを許されるのです。しかし、技術なく、単に人格者であるだけの人はやはり医師になり得ないのであって、それは必要条件であっても十分条件ではないことを肝に銘じなければならないでしょう。単に優しく患者の手を握って話を聞くだけの医師は、技術しかない医師の数倍たちが悪いとも思うのです。