「呑み屋でジャズ」-0443-

 かつて、演劇というものに魅せられて、いつまでもその世界にいたいと思って、かつての仲間とどこかで芝居をやろうなんていう話に盛り上がったりしていたものなのだけれど、結局それは果たせずじまいだったのです。かつての仲間の中で、ごく少数の人間だけが、そういう世界の住人であり続けています。例えばAND ENDLESSという劇団でかつての仲間が頑張っているらしいのです。

 僕は演劇という世界に住み続けることは選択せず、外科医という本業を修行しながら、かつての仲間の活躍を見守ることで、魅せられた世界との接点を保ち続けようとするのでした。

 絵画とか、写真とか、映画とかいう芸術と明らかに違う点は、それが静止した世界のものではなくて、あくまでも現在進行形であるということなのです。目の前で演じられるそれが、その芸術の表現型であって、ビデオで撮影したからといって、その芸術をそのままの形で残すことはできないと思うのです。似たような芸術としては、ダンスとか、バレエだとか、あるいはそれらの一部を構成する音楽とかいうものも含まれるのだと思います。

 完成型として展示されるのではなく、練習とかその日の調子だとか、その舞台だとか、観客の構成だとか、それぞれが確実に作用しあう中で存在するもの。大学に入ってベースを手にし、音楽というものにも演劇に魅せられたのと同様、のめり込んでいくことになるのでした。

 今日は大学の部室棟を借りて、工学部や医学部の後輩、まだ学生をやっている彼らと共に、ジャズの練習をしたのでした。卒業以来、まともに楽器を長時間弾くのは初めてかも知れません。

 呑み屋でジャズ、呑みながらジャズというコンセプトで、僕の楽器リハビリ開始。ヤマハのサイレントベースを持ち込んで、時にもつれそうになる指にブランクを感じながら、思いつくスタンダードを片っ端から引き続け、今月末にライブをやらせてもらう予定になっている呑み屋を訪れ、しばし歓談。久々の楽器は、予想以上に僕を消耗させたけれど、予想以上に楽しい時間でした。

 レミオロメンというバンドのCDを聴きながら帰宅しました。彼らは凄く上手いと思います。かつてこのバンドのヴォーカルとは、一緒のバンドでこそなかったけれど、一緒のライブに出て、そして激しく打ち上げしたりしたものでした。彼はその後引っ越して、少し離れたところに移り住んだようですが、彼が当時組んでいたバンドのベースプレイヤーは、いまだ僕の近隣に住んでいて、事ある度に酒を呑んだりしています。

 演劇に触れていたのはずっと昔のことで、音楽に近いところで生活していたのもちょっと昔のことになってしまって、ただそれらの世界に一緒にいた人間のうちの何人かは、確実にその世界に生き続けていて、僕は魅せられた世界との接点を保ち続けることで、僕が今いる世界で生きるための元気をもらっているのです。

 僕の生き方が、他の誰かに元気を与えるようなことが出来るならば、無上の喜びだと思います。僕が演劇とか音楽に魅せられたように、医師という仕事にも魅せられたわけであって、全てに平等の力を注ぐことは無理かも知れないのだけれど、欲張った人生も悪くないと思うのでした。