「逝去」-0457-

 奇跡的に平和な病院当直の夜を過ごし、そのまま朝を迎え、唯一僕を起こした電話は、祖父の訃報でした。両親は共働きで、小学校へは母の兄の家から通ったのです。床屋の仕事をしながら、祖父母は僕と弟を育ててくれたのです。

 何をおいても訃報と同時に駆けつけるということが出来ればいいのでしょうが、僕の目の前には血が繋がっていなくとも、僕に命を握られた人たちが何人もいて、外科医という職業を選んだ以上は、そうした患者さんたちの診療にあたることは、最低限の務めなのです。有り難くも、親類はみな、そうした事情をきちんと理解してくれるのです。祖父がまだ、意志の疎通が可能であるうちに見舞ったそれが、実質のお別れであり、葬送でもあったということは、その場にいたみんなが分かっていたのです。「死んでから慌てても仕方のないことだから、お前は、きちんと元気なうちに見舞ってくれたのだから、それでいいんだ」と、伯父は言ったのです。

 通夜は明後日、その翌日が葬儀だということに決定したのは、今日の回診中のことで、「少なくとも今日と明日は何もしないから」僕は職務を全うするのです。僕が医者になったことを、祖父母は本当に喜んでくれたのです。僕の働く姿を、直接みせたわけではないけれど、僕が医者としての仕事をきちんと務めることは、僕なりの祖父の供養であるし、僕なりのまっすぐの生き方なのです。

 祖父のあと、床屋を続ける伯父は、職人気質の人であって、人当たりがいいとは言えないし、客を選ぶようなところがあるのだけれど、きちんとした仕事をして、それを誇りとしています。僕が医者という仕事を選んだことを、祖父母同様、この伯父さんも、あまり直接的な感情にはあらわさないのだけれど、とても喜んでくれているらしいことは、肌で感じていました。伯父は、医者の職人的な部分を、自分の仕事とも重ね合わせるのか、その神髄とでもいうべきことを、含蓄ある言葉で語り、仁術であるところの医術について付け加えるのがお決まりでした。もちろん僕の両親や弟といった、本当に身近な人々も、僕が今、なんとかやりたいことをやっているということを喜んでいてくれるのだと思います。

 そうした、かつて僕と共に生活していた人々は、いろんなところから僕を助けていてくれるに違いないと思うし、親類の中で、それほど居心地の悪い思いをしたことはないのだと思います。だけど、あんまりにも真っ直ぐすぎることばかりに囲まれているのはなかなか疲れることで、長い時間一緒に過ごすとぶつかったりすることも多いのです。それはある意味、そう簡単には切れることの無い縁に安心してみせるお互いの本音なのかも知れません。

 僕は、両親や祖父母、親類たちと距離を置き、一人暮らしというものを、もう7年半も送っていて、それにすっかり慣れてしまったのです。現在、僕は外科医としての修行をしたり、あるいは趣味に浸ったりするために、この一人暮らしというライフスタイルがベストだと思っています。けれども、例えば来年の理想のライフスタイルが、どういうものなのかはわからないのです。ただ、僕のルーツは確実に実家に根付いているということは、常々感じるのです。

 祖父の訃報という日に、僕は相変わらず緊急手術とかしていて、夜に帰宅し、明日の朝から次の朝まで、また日勤、当直の仕事があって、それがすんだら、僕はただの遺族の一人になろうと思います。