「ゼク」-0458-

 祖父の通夜、葬儀、納骨と、つつがなく終わりました。

 斎場は僕が六年間通った小学校の隣でした。葬儀屋は、小学校から高校まで一緒だった友人の家で、彼は既に結婚して、斎場に隣接した新居に暮らしているらしいのです。他の多くの人々と同様、彼とも、高校卒業以来、ろくに連絡もとっていないので、もうかれこれ8年近く会っていないことになります。そんな彼は、わざわざ香典を持ってきてくれたようで、直接は会えなかったのだけれど、これを機会に、お礼と近況報告を兼ねて葉書を送りました。

 さらに火葬場、お寺と移動する道のりで、かつて僕らの家族が住んでいた市営住宅だとか、そのまんま建っている友人の家とか、懐かしい風景をみていると、なんだか不思議な気持ちになってきます。葬儀を手伝ってくれた伯父さんの家の隣組のみなさんは、確かに僕が知っているはずの人たちだけれど、お互いに、伯父の家から通学した小学校時代くらいの印象しかないものだから、なんだか、知っているイメージと、目の前のイメージを重ね合わせるのが大変なのでした。そんな、何年もの時差ぼけのような状態が、祖父の思い出と重なり合うのです。

 僕が医学部という道を選んだころから、みんなしつこいくらいに、お前らの役に立つのなら、私らの体はいくらでも提供するとか、そんなことを言っていたことを思い出したりもするのです。その言葉通り、僕の祖父の体は、親族一同の同意のもと、ゼク(Sektion【独】=解剖)に供されたとのことでした。

 人一人見送るというのは、とても大変だねえ、と、何度と無く祖母がつぶやいていたのでした。小学校時代くらいでとまっているような、僕の地元時間は、当然祖父母にも適用され、僕が物心ついたころから、祖父母はずっとおじちゃん、おばちゃんで、僕が祖父母を認識してから既に20年以上もたっているというのに、それはなんら変わらないおじちゃん、おばちゃんのイメージだったのです。葬儀に際して初めて、祖母が年をとったのだということを実感したのです。

 今日から仕事復帰し、午前中に胃透視を終えた直後に胆石の執刀、マンマ(乳腺)の鉤引きをした後、両側鼠径ヘルニアの執刀、相変わらず慌ただしい日常。